念入りに大切に
私たちのいのちは、
自然に「いたわり」を知っています。
自然に「優しさ」を知っています。
だって、
おなかが冷えていたら、自然に手はそこに向いて、
冷えた場所を、無意識に自分で優しくさすっていたりします。
ヨチヨチ歩く小さな子が、頭をぶつけそうな時は、自然に危険な場所に手をやって、幼児の頭を守ろうと手をあてます。
私たちのいのちは、冷えている所、痛んでいる所、心配な所を感知して、
心配ならば、そこを優しくフォローしようと、
いのちは自然に動くでしょう。
12月になると、年末の御祓もあって、私は一年を 心の中でゆっくりとふりかえります。
あたたかく 感謝があふれることも、
うれしいことも、
充実したことも、
ヒヤヒヤしたことも、
うーんと悩んだことも、
ざわざわしたことも、
勇気を出したことも、
いろいろ、たくさんありました。
でも、今年は
チャレンジをたくさんしたので
本当に進化成長ができて、
「ああ、たまらないなあ、幸せだなあ。」
「ああ、よかった。いい時間だった。」と、
心ほくほくして、眠りについた日が多かった気がします。
でも、充実できない時間も、まだ答えが出ていないチャレンジも、課題もありますから、思い出すとザラザラするものも もちろんあるのです。
ああ、できないなあ、むずかしいなあ、嫌だなあ、というエネルギーだって、私にも訪れていました。
だけど、
それでもやっぱり、年末には、
ああ、いい一年だったと、
私はほくほくしているのです。
それは、
私たちのいのちには、皆
いたわりと優しさが備わっている事を 知っているからかもしれません。
私は、そのいのちの自然ないたわりを よく使います。
例えば、
嬉しいことや実りがあったことは、
思い出す度にあたたかいですし、
嬉しくなります。
でも、恥ずかしかったことや、
失敗したことや、
自分の未熟さが むき出しになった出来事は、思い出す度にヒリヒリするから、嫌なものです。
見ないようにする人も おられるでしょうし、
思い出す度に、落ち込む人もいらっしゃるでしょう。
でも、そういう時は、足をテーブルの端に うっかりぶつけてしまった事と 同じだと私は思うのです。
もし、足をぶつけてしまって痛かったら、皆さんは どうなさいますか?
自然にそこに手がいって、
自分の痛みが消えるまで、さすってあげていませんか?
自分の痛みを、いのちがいたわっているでしょう?
そんなふうに、
私は一年をふりかえる時は、
念入りに丁寧に、自分のエネルギーをいたわります。
嬉しいことは、嬉しいとあたたかく包む。
充実した、できたことも、嬉しいと、あたたかく包む。
でも、嬉しいことばかりではなく、
まだ答えが出ていなくても、失敗して 恥ずかしさがある部分も、
優しく 包みます。
痛みがあるなら尚、
ざわざわしてるなら尚、
その痛みが消えるまで、いっそう丁寧に、念入りに 大事にいたわり、優しく見つめて応援していくのです。
ゆっくりその部分の自分の 未熟なエネルギーを、優しく包むのです。
ヒリヒリしている部分は、
まだ、弱くて繊細な部分ですから、
弱いなら尚、
未熟なら尚、
その部分を意識して、あたたかいエネルギーでフォローして、
見ていてあげる事が必要ですし、
優しいいたわりと応援が必要です。
一年ふりかえって、
だめも恥ずかしさもヒリヒリも、
全部全部・・。
私は心の中で、痛みのある部分を優しくさするように、あたためて、自分の足りない部分に、優しい心を送っています。
そんなひとときは、
私のハイヤーセルフが、日常の自分をあたたかく抱いて、励まして、
信じてくれる、ひとときのよう。
だから、できなかった痛みも、
来年はきっと、この部分にあたたかい明かりが灯っているわねと、
やっぱり 希望になるんです。
私たちには、優しさといたわりが備わっています。
それを、自分の繊細な部分に向けてあげる事は、
自分を信じること、になるのです。
やっぱり、人生ってたまらなくステキ!というときめきを、回復させてくれるのです。
だから、もうすでに、
来年にわくわくしている私です。
ほくほくも、ヒヤヒヤも、ざらざらも、皆 愛しい大事な自分