自分の中枢
常に私たちは、
「自分」を探しています。
「自分」を求めています。
いつも、「何か」を探しています。
いつも、「どこか」にたどり着きたがっています。
自分は、何かを求めている事は知っていても、
自分がどんなものに 心満たされるかがわからない時もあるでしょう。
私達は遠くばかりを見すぎてしまいますね。
自分を探している時は、まず
自分の喜びの中枢を見つける事です。
それはあなたが、
「本当のあなた」に還る地図なのです。
例えば、味覚ひとつでも
あなたの感性に「ちょうどいい」とフィットする「おいしい!」のポイントがあるでしょう。
食べ物ひとつの中にも、そのいのちの地図があります。
例えば、春の野草には「苦味」があったりするけれど、
その苦味が、醍醐味で、とてもおいしかったりもしますよね。
だけど、醍醐味と言われても
自分の感覚にとって、苦すぎると「おいしい」とは 感じないですし、
逆に、苦味がぬけすぎてると、もの足りなかったりしますよね。
その苦味が、自分にとって「ちょうどいい」時、
「春だなぁ」と、おいしさを通して、私達の心は満たされます。
甘さだってそう、
どんなに体に優しいといわれる甘味でも、
自分の感覚にとって、甘すぎると おいしいとは 感じないし、
自分の感覚からいって、甘さが足りないと物足りなく感じるでしょう。
自分にとってちょうどいい真ん中があるのですね。
私達は、新しい習い事をしたり、
何かを求めて遠くのパワースポットを旅したりして、何かを探します。
それはステキな冒険でもあるでしょう。
でも自分が求めているものが何なのか、わからなければ どこにもたどり着けない事もありますね。
例えば、私は映画が好きなので、たくさん映画を見ます。
又、とっても本好きなので、友人にびっくりされるくらい本を読んでいます。
名作もあれば、娯楽ものも、伝記も、詩集も歴史ものも、
観たり、読んだりします。
でも、映画なら何でもいい訳ではないし、
本なら何でも好きな訳ではありません。
映画でも、本でも、美術館でも、
私の心の中枢にふれてきて、
インスパイアされたり、
人の心のあたたかさが広がっていく物語や、
愛がもつ可能性や、
それらの中にあたたかい真理を見いだせるメッセージ性のあるものが、私は、大好きなのです。
私は、自分が求めているものを 知っています。
娯楽ものでも、そのお話の中に真理を見いだすと、私の心は満たされていくのを感じるし、
雑誌やテレビで話題になっていても、軸がこの世のものだけの作品だと、楽しむことはできても、
心は満たされたとは感じません。
「満たされる」のは、
自分の魂が求めているものや、
自分の魂のエッセンスを、見つけた時なのでしょう。
幸せは遠くよりも、
本当は、近くから拡大していきます。
自分の感覚の中枢から、外側へ外側へと、幸せは広がります。
自分の感覚は、お人の心の中にはありません。
自分のおいしいの真ん中に
ちょうどいいの真ん中に、
大好きの真ん中に
満たされる、魂のエッセンスがあるのです。
例えば、絵本やおとぎ話の中では、
成功や幸福のゴールの象徴はよく、
お城に住む事のイメージがあるけれど、
それを幸せと感じて、心から楽しめる人もいれば、
実際にお城に住んだら、孤独を感じたり、
それを維持するのに苦しむ人もいます。
表にでて、お人をリードして幸せを感じる人もいれば、
表にでないて、人の為に働く事に幸せを味わう人もいます。
西洋の美のような優雅なキラキラに満たされる人もいれば、
何もない日本のお茶室のような静謐な雅に、心満たされる人もいます。
その満たされる場所に、
あなたの魂があるのです。
幸せは、あなたの真ん中にあるのですね。