自分の根本に感謝(1)~供養の原点
幾重にも重なりあう出会いの糸、そのやさしさがあったから今のあなたがいます。
私達には当たり前の事ながら、自分を生んでくれた親がいます。お父さんとお母さんがいます。
そしてさらに、そのお父さんとお母さんにも、さらにその人を生んでくれたお父さんとお母さんがいます。
誰もが、このやがて誰かの父となり、母となる人との出会いによって、魂が物質をまとって地球生活を体験するという、その入り口をいただいたのです。
私は、時々自分の存在につながるその果てしなく優しい、出会いの連鎖に思いを馳せてみることがあります。
そうすると、なんだかあたたかいものが通ってくる気がするのです。
もしも、私の母がバスガイドをしていた会社が、父が働いていたラーメンやさんの近くになかったなら・・。そしてそのそばのダンスホールで。二人が出会わなかったなら、今の私は、ここにいなかったかもしれません。
さらに、私のおじいちゃんが若かりし頃に働いていた郵便局に、やはり若かりし頃のおばあちゃんが働きにいっていなかったら、母も、叔母も、叔父も、いとこたちも、私もいなかった。
それを考えると、人の出会いというのは、なんて貴重で、なんてあたたかい いのちの通り道なのでしょうか。
尊いものですね。
先日、手を合わせにいった親戚のおうちのお仏壇のお部屋にかけられていた、たくさんの私につながる先祖のそのあたたかみに、しみじみとして 思わず写真を見上げ眺めてしまいました。
大事にしたいなと思いました。
父と母がダンスホールで笑いあった日、どんな曲が流れていたんでしょう?
父と母が働いていて見上げた空はどんな空だったのでしょう。
おじいちゃんとおはあちゃんがお茶を飲んで笑いあった時、そのお茶はどんな香りがしたのでしょう。
みんな、どんな事に泣き、どんな事に笑ったのでしょう。
何が嫌でおびえ、何をなし得たのでしょうか。
私につらなる先祖の暮らし、その中での喜びや苦労を心に思う、それは「供養」の原点。
宇宙の癒しの原点ですね。
いのちのつながりから、私達は、あたたかい思いやりを学びます。
もし、あなたのご両親やご親戚で、自分につながる方々のお話を覚えている方がいらしたら、ぜひ、機会があるごとにお聞きしてみるのも、素晴らしい先祖供養の元になるでしょう。
「供養」とは、天国のセラピーで、その原点は「優しさ」であり、「思いやり」であり、「理解」だからです。
先祖にも「暮らし」があり、ささやかな楽しみがあり、大好きなものがあり、食べたいものがありました。
あなたのすぐそばにいる人を外側ではなく、中身を、奥を見ようとしてみませんか?
肉体の目ばかりではなくて、心の目で、いのちの目で、そばにいる人々を見つめてみませんか?
そのスピリットさんは何が好きで、何が幸せと感じるのかを、わかろうとしてみませんか?
例えば、あなたがすでに「おかあさん」であり、「おとうさん」であるならば、母の日や父の日に子供達からプレゼントを、頂くことがありますよね。
その時、形式的に「母の日」だから「父の日」だからととりあえず花などを頂いたとしたら、嬉しいけどそれが「形式的」なら、ちょっぴりさみしさも出る場合もありませんか?
もちろん、もらわないよりは、嬉しいでしょうけれど・・。
とりあえず、母の日だからと形式的に頂くより、あなたの日々が、あなたの心が通じたと感じるときに、涙が溢れるように嬉しくなるのではないでしょうか。
例えば、あなたが毎日毎日の家事に嫌気がさしていて、でも家族の為だからと、頑張っていたとします。午後にお友だちとお茶していて、本当はもう少し話したかったなあと感じても、お夕飯の支度があるから帰らなければならなかった、家族の為にしていた我慢。
休日に、家族はまだ眠いと起きてこない時に、自分も眠たいけど家族の為に働くため、起きてごはん支度。誰も起きてこない朝に洗濯機をまわして、仕方がないとわりきっていたものの、なんともいえないこの気持ちが、誰にもわかってもらえていないと思った。誰にも通じていないと思った。
でも、実はその苦労とあなたの静かな思いやりが、家族の誰かに受信されていて、気持ちが通じての「おかあさん、ありがとう」は、形式的にとりあえず頂くカーネーションより、深く胸にしみませんか?
実はあなたが肌が弱くて手荒れに悩んでいたことを、言葉にしていないのに、家族がそれをちゃんと見ていて肌に優しいハンドクリームなどをそっとギフトされたら、自分に伝わり深く癒されますよね。手がつらいの、わかってくれてたんだ。見ていてくれたんだって。
こんな優しさが、供養の原点なんです。
ひとつの霊(心)の中の苦しみ、やるせなさ、さみしさの芯を、あたたかい愛のエネルギーで優しく溶かしてくれる世界です。
供養という、癒しの原点は、寄り添うことです。
つまり、自分の大切にしているものが、わかってほしい気持ちが、相手に「通じている」と感じる「通いあうもの」があることが、癒しの原点なんです。
人は自分が通じてほしい気持ちが、そのまま誰かに伝わること、望んでいるものが満たされていくこと、本当にわかってもらえることで、はじめて溶けてゆくものがあるのです。
一番身近な先祖、親族、それは、両親、兄弟姉妹、親戚ですね。
その魂さんたちとは、物質的な肉体の生活中に、出会っていますから、感情がからまっている場合がありますね。
おかあさんはこうしてくれなかった。おとうさん仕事ばかりで遊んでくれなかった。
こうしてくれなかった。
こういってくれなかった。
これは、あなたの視点からあふれてくる思いですね。
でも、宇宙的セラピー「供養」とは、宇宙の愛をそこに注ぐことなので、自分ではなく、相手の立場にたち、相手の心の波にそって喜びや優しさを流すのです。
つまり、既製品ではなく、その魂が心から望むもの。その魂が嬉しいもの。わかってほしいこと、通じたいと願っているものをわかろうとし、心を通わせます。
それが、ふれた時、いのちはやわらかくなるのです。優しくなるんです。あったかくなるんですぬ。
私の苦しみが誰かに通じた。
私の苦労が誰かに通じた、
願った祈りが通じた。
魂の芯に秘めていた本心が通じると、いのちはやわらかくやわらかく溶かされて、優しくなれるんです。
そんな視点で、そばにいる方のお心をいたわってみませんか?
日常に新しいエネルギーが、流れ始めるかもしれませんよ。
今日は、こんな優しさを大切に感じて、エネルギーを変えてみませんか?
家族・親戚は必要だから、神様が優しく結んでくれた縁の糸。愛する為に出逢いました。
今日はそんなあたたかみを温めてみませんか?
癒しの原点は、ただ相手を思う
「愛のエネルギー」