自分の根本に感謝(2)~生まれるのは愛の中
あなたのいのち、あなたの人生を受け止めてくれた優しい場所
ある年の誕生日の事でした。
私は、春になると巡ってくる誕生日に、自分が誕生した時間、或いはその近い時間に合わせて、自分のいのちに波長を合わせながら、瞑想をします。
生まれてこれた事に感謝して、自分のいのちを祝福し、感謝するのです。
そんな、ある年の誕生メディテーションのこと、毎年行う祝福体験とは、少し違う体験が訪れたことがありました。
目を閉じて、祈り始めた途端、内側の奥の方からふわりとビジョンが飛び込んできたのです。
ふと、気づくと、キラキラと輝く懐かしい星の河に「わたし」はいました。
あれは天の川だったのでしょうか。
聖母の優しいミルクの河、いのちを養う優しい母乳の道、ミルキーウェイ。
私は、そのキラキラしたきらめきの河をつたって、今まさに地上に降りようとしていました。
その時、光の指標が見え、あの一点の周波数に向かって降りていけばいいと、目印のように見えるポイントがあり、そこを目指してすべり降りてゆけばいいと、「わたし」は知っているのです。
その時、青く輝く地球の中のこれから「わたし」がいく先のポイントの場所に、星のように煌めく数十個ほどの光をみました。
その光たちは、私に腕をひらいているかのように感じ、そして私にこう語りかけているように感じたのです。
「待っているよ。待っているよ。あなたが降りてくるのを。私達は先に降りて、私達の人生というクッションで、あなたを受け入れる準備をしているの。」
私にそう語りかけてきた星の一つ一つは、父であり、母であり、姉の、大いなる自己の優しい光でした。祖母であり、祖父であり、その後深いご縁を紡ぐことになる叔母たちであり、叔父のハイヤーセルフの優しい光たちでした。
その後、私が生まれた後に、家族として、或いは家族同様に私に影響を与えてくれる、深い縁を持つ魂たち、私が生きる環境に存在する事になる先に生まれた人々の「大いなる自己の光」でした。
私は、その優しさに感動し、しかしふと気づきました。「あら?という事は?」と、ふいにうしろを振り向きました。
するとそこには、順番待ちのスピリットたちがいました。懐かしく親しいスピリットたちがそこにいました。
そう、生まれたのち、親しく私の身近にいることになる魂たちで、同じく家族か、家族同様になるはずの、私の後から生まれる予定のスピリットたちです。
私は、その魂たちを見ていとおしさでいっぱいになりながら、魂たちにいうのです。
「私の番が近づいたみたいです。それでは先にいきますね。あなた達に必要な環境を私の人生の上で展開しますから、安心して続いてきてね。」
そうして、私は、光の河をすべって生まれてゆくのです。
生まれてくるのは、魂が美しいものを学ぶため、進化成長するため、そして天から託された素晴らしい役割をこの世で展開する為・・。
それには、身近にいる人と環境が大きな力として影響することがあります。
又、この家族スピリットの中には、あなたがカルマを通過し成長する目的の為、魂を鍛える為に、あえて憎まれ役を引き受け、あなたの憎しみを全身で受け止めては、あなたに「許す」という経験を提供してくれるスピリットもあります。
それは、自分が住む身近な人々の中の「大嫌いな人」として存在するのでしょう。
でも、それでも、その人はあなたの「魂」にとっては大事な人なのです。
魂は進化するという、大切な仕事をしに生まれてくるのです。
人により課題は様々で、「許すこと」「裏切られても裏切らないこと。」「無償で愛すること」など、
あなたの魂が、まだ試みていない領域を伸ばすため、その苦手な側面をクリアするきっかけを提供してくれる家族もあります。
しかし、表面のその人の心や態度がどうであれ、その奥の魂は「待っているよ。」と、あなたの為に人生を広げて、あなたを受け止めてくれているのですね。
今日は、ぜひあたたかく思ってみませんか?
あなたが生まれた時、あなたが舞い降りたのは、お父さんの人生の真っ只中でした。お母さんの人生の真っ只中でした。
お二人の人生の真ん中にあなたは、降りていきました。
そして、それに重なるようにおじいちゃん、おばあちゃんの人生が広がっています。
その環境の中には、あなたが生まれてから魂が目覚めるために必要な学びの教材、才能、環境が、あなたのそのいのちを包むよう、誰かとの関わりによって用意されています。
自分の魂が選んだ「才能」や「資質」「気づき」をもたらしてくれる環境や、自己成長の為に魂が克服する為に選んだ「課題」が家庭には備わっています。
どちらも、あなたを助けてくれる為です。
魂の為に用意されている環境
これは、私の場合ですが、神様を信じることが難しいと言われている現代・・。目に見えないものを信じること、感じる事は至難の技と言われます。
しかし、子供の頃は私は、それが実は不思議で不思議でなりませんでした。
何故なら、私があのミルキーウェイをつたって、生まれ落ちた環境は、宗教もなく、仰々しくもありませんでしたが、それでも、父と母が神仏をとても大切にする人だったのです。
父も母も、朝に会社に行く前に必ず神棚に丁寧に手をあわせ、お仏壇に手をあわせてから出かけていました。
だから、私達姉妹も、神様に手をあわせること、ご先祖様に感謝することを、なんの違和感もなく、息をすうように自然なこととして受け入れていました。
神様がいるとか、いないとか、信じるとか信じないとか、ではもはやなく、その優しさと恩恵が空気のように当たり前に私達人間と共にある生活が我が家だったのです。
父も母も特別な宗教は何も持っていませんでしたが、自分のいのちをお与え下さった世界に対する感謝が、当たり前にある暮らしでは、「神」という存在を見たことなんかなくても、深い信頼がありました。
その環境のおかげで息をすうように当たり前のこととして、神に祈るという環境が私の子供時代の日々の中にはありました。
これは、私にとって最高の環境であった事はいうまでもありませんね。
さかのぼれば、母方のおじいちゃんもそんな自然な心を持つ人でした。
子供の頃、おじいちゃん、おばあちゃんのおうちに遊びに行くと、仏様からおろしたご先祖様が召し上がったご飯を、ストーブの上で焼いて、「ご先祖様が食べてくれたご飯を食べると健康になるぞ」と言って、私達に食べさせてくれました。
父方の祖父と祖母は、父が子供の頃に他界しているため、私が肉体次元で接することはありませんでしたが、その後私がこの不思議な仕事をはじめてから、いろんな出逢いがあり、先祖がわかり、先祖の土地も旅することができ、まだおじいちゃんや、おばあちゃんを知る長老のみなさまにお話を聞く機会も頂きました。
すると、父さえも知らなかったのに、不思議です。我が家の家系は、神主さんで、父方の先祖、母方の先祖とも、行者さんや神の声をきく巫女さん、仏の声をきく人など、いわゆる神仏にふれる仕事を持ったり、その不思議にふれる機会が多い家系だったのです。
先祖をひもといて、私は親族の中に流れる霊的な環境に驚いていました。
そして、あの誕生日のビジョンが心で納得できました。
受け継がれて行く、優しいものがあります
私の人生の環境に当たり前にあった「神様を自然に受け入れる環境」「自らの大いなる自己を大事にできる環境」は、いつかどこかで、生きていた私のご先祖さまが、今の私達と同じように、一生懸命人生を通して学んでくれたその結果が、父や母に受け継がれて、暮らしとして表現されたものでした。
私は、その環境に降りたのです。
神仏と関わり、その光にふれ、その霊験や恩恵に救われ、その愛に祈り、その優しさに泣いて生きていた先祖がいて、そこから気づき、学んだ経験は魂はもちろんですが、肉体の細胞の中にも記録されてゆきます。
その細胞の記憶は次の世代に、次の子孫にと、先祖の学びは受け継がれてゆきます。
それは、体を通しても思い出せるよう、細胞の中に息づく優しい記憶の伝達なのです。
ずっとずっと昔に、天に向かって手を合わせていた先祖がいて、その人の胸にもしも、安らぎが溢れていたら、その人を満たした安らぎは細胞の中に記録され、次の世代に伝達されてゆくのです。
体で覚えた「気」は、子孫にと、伝達されてゆくのです。
つまり、そのあとを生きた人々は誰に教わるでもなくても、神仏に手をあわせると、気持ちが安らぐことを本能的に知るようになるのですね。
だから、なんの抵抗もなく当たり前にそれを自然にできるのです。
いのちからいのちに伝達されて、先の世代にはそれが当たり前になってゆく。
そして、それらご先祖様の暮らしに芽生えた「気づき」や「学び」が、数々のいのちの中で伝達され、父と母に受信され、父と母のものの見方と価値観となり、私にまで受け継がれた。
それは血の中に輝いているあたたかな愛の光です。
こんな限りない愛が、地球の歴史上、一度も途切れることがなかったからこそ、今の自分の人生があります。
私は、感謝したいと思います。
天の優しさに出逢い、感動できるのは、かつてのご先祖様の生きた人生のおかげかもしれないのです。
今、知りたい真理の本は、本屋さんにいけば手に入るのは、かつて書物などない中で、必死に真理を学ぼうとしていた先祖がいて、何日もあるいてあるいて真理を求めた人がいたから、
その恩恵で、今の私達は真理を読んで理解する理解力があり、心にふれて感動できるのです。
私達は幸せですね。
真理は手をのばせば手に入る環境があり、それにうち震える心もあります。
この波動、この縁、この気持ちは
先祖の愛のおかげです。
自分の中に流れる先祖の感性に、深い感謝があふれますね。