一番先に持ってくるもの

 

 

 

やさしさが生まれてくる満ち足りたフィールド

 

 

 

今日はちょっと不思議なお話です。

ある時、こんな不思議な体験をしました。

 

その日私は眠くて眠くて、目があいていられない程で、気づいたらベッドに横になり、すーっと深く眠りに入っていました。

 

 

 

眠りに落ちてゆきながら、私はその時の感覚をイメージするなら、例えば、不思議の国のアリスが不思議世界に迷いこんだ時のように、軽やかな不思議空間をふんわり、ゆっくりと漂うように、おりていました。

 

 

 

ふんわり、ふんわり漂いながら

ゆっくりと・・。

 

漂いながら降りていると、途中いろんな景色が、通りすぎてゆくのが見えました。

 

懐かしいような景色や、私が好むような世界や、昔の記憶のワンシーンが音がなく浮かんでは、通りすぎてゆきました。

 

 

降りていく途中、気がつくと その通りすぎてゆく景色と共に、不思議なシャボン玉みたいなものが、あちこちにふんわりと浮かんでいました。

 

 

 

 

 

 

その時、ひとつのシャボン玉がふんわりゆっくりと私のそばを通過しました。

 

 

 

 

見ると、シャボン玉の表面が小さなテレビ画面のようになっていて、

何かが映っています。

 

 

なんと、その

シャボン玉には、とても美しい聖母界のマスターたちが、数名程 集まって話されているお姿が映っていました。

 

 

 

 

そのシャボン玉がわたしの横を通りすぎる時、マスターたちの声が何を話されているかわからないようなかすかなささやきに聞こえ、やがて聞こえる声となり、そして私のそばを通過して溶けるように消えて行きました。

 

 

 

 

 

その時シャボン玉が通過する時に聞こえていたマスターたちのささやきが、ここの所何度も心に浮かんでくるので、みなさんにわかちあいたいと思いました。

 

 

 

すでにトーク会では、この視野のもとに、愛のエネルギーを皆様に体感していただくような磁場を整えています。

 

 

 

この時、マスターたちがこうおっしゃっている声をきいたのです。

 

 

 

 

 

「体主霊従」の世の中から、「霊主体従」の世の中へ、転換地点がくる。

「霊主体従を生きなければ」「霊主体従への転換を」と、くりかえしくりかえし、響いてきました。

 

 

 

そのシャボン玉が私の胸のあたりに漂いすーっと溶けてゆくと、私は理解するのです。

 

 

 

この空間は私の深層意識の中であり、このシャボン玉は宇宙から送られて来る情報を含んだエネルギーのカプセルのようなもので、シャボン玉が私の胸に消えてゆくと、情報がダウンロードされてきます。

 

 

シャボン玉が溶けた瞬間、私は聖母界のマスターが口にしていた情報以上のことが詳細に突然わかりました。ふっと突然、それまで知らなかった事が最初から知っていたかのように、気づいたらそこにあるのです。

 

ふっとキャンドルが灯るように、私は知っていたのです。

ふっとすでに私の中に膨大な情報がダウンロードされていました。

 

 

 

「これを、お伝えすればよろしいのですね?」

 

 

この時、ダウンロードされた情報の詳しくは、光の実践者たちのクラスであります「聖母授業」の中身として、お伝えしているものですが、その中の基本となる愛のメッセージは、今とても大切なので、この「Tenderness Light 」の読者の皆様とも、ぜひわかちあいたいと思います。

 

 

 

 

 

 

「霊主体従」とは、霊(見えないエネルギーが主人で、体(目に見えるもの)はそれに従う従者ですよという意味です。

 

 

 

 

でも、今までは「体主霊従」の逆の巡りの世の中で、それがゆえに世界はバラバラでなにもかもが ちぐはぐで、統制がとれない、そんな時代でした。見えるものが先、霊があとと真理が奥へ追いやられてしまう エネルギー的には 逆行している世の中だったのです。

 

 

よくある事ですが、「まずは生活や現実での対処が何より先で、お休みの空いた余暇でだけスビリチュアルを学ぶ。」

 

 

こんな感じの私達は多いものです。

 

 

例えば、悩んでいる時、どうしよう、どうしたらいいんだろう?と苦しむとき、「祈っていますか?瞑想してますか?」と聞かれると、「忙しくて時間ないんです。」と答える人が多いわけです(笑)

 

悩んでいるんです。現実問題 悩みがあって、それを解決するのに忙しいから、祈ってる場合ではない。余暇ができたらやりますねと、

 

 

先に現実、余暇ができたら「意識」を意識する。

目に見えるものが前で、見えないものが後。

この姿が「体主霊従」今までの世の中の、真理から見ると逆の 気のめぐり方です。

 

こんな時、悩んでいても解決はされず、問題は問題のまま、多くの人は霊性を気休め的な位置に納めてしまいますね。

 

 

 

しかし、霊性こそがリアルに現実を動かす原点の力だと知ったなら、誰もがこの逆を動かしたくなるでしょう。

 

 

この世の現実創造には、本来の気めぐりがあり、まずは一番大切なものを、一番最初に持ってくることによって、現実が変わりだすのです。あとはその波動から自然に調和が生まれ 整いだすのです。

 

まずは意識を選ぶ。意図します。どうなりたいか、そして祈る。

 

 

その明確な目に見えない意識を1日の始まりや行動する前など、一番にもってきます。

 

すると、その意識、その祈りが、宇宙と共鳴し、エネルギーが流れます。祈りは天の糸。

 

それをつたって美しいエネルギーがあなたの世界に入ってきます。

するとそこに流入したエネルギーによって、あたかも砂鉄の中に磁石を降ろした時のように、

 

 

祈りに呼応したものが、現実の中から、すうっと中心にひきよせられてくるのです。

 

 

目に見えない意識を、祈りを、やさしいいのちの世界との接点を

 

あらゆる行動や現実より先にもってくることで、気がひきよせられるから、そこには大きな違いが出てきます。

 

 

例えば、現実の不協和音が、祈りを先にもってくると、気によって現実が調和し、統制されるので、かたい関係がやわらぎ調和が生まれてきます。

 

必要なものが、タイミングがその見えない意識により集められて、現実が自然に調和し始めるのです。

 

 

 

目に見えないものが、目に見えるものを動かしているのです、

 

 

私達はついつい、やりたいことはあるけれど、忙しくて時間がないなんて言ってしまいます。

 

 

でも、もし、本当にそれをすると本気で決めて意図したら、現実が動いて 何故か時間ができてゆきます。

 

 

お金がない、どんどんなくなるという状況の欠乏意識にあせり、お金をなんとかしようとかけまわってもダメだったのに、意識をひらいて、豊かな気持ちが心に生まれるようになると、エネルギーがゆきわたって、何故か必要なものがお金がちゃんと巡りだします。

 

 

まずは「霊主体従」

見えないものを一番にもってくると、望んでいる現実創造が始まります。

 

望まないことを対処する前に、望みことに意識を向ける。

 

まずはあたたかい祈りから始めてみませんか?