安曇野記(1)~やさしさの視点
集合意識の恩恵に、心をむけるあたたかさ
安曇野は、どこか懐かしい、心なごむ場所でした。
ホテルでは、割烹着姿のあったかい佇まいのお母さんが、その場でおむすびを握ってくださる朝食です。
すてきですよね。
おむすびは、心にまでしみるおいしさでした。
まさに、五感が幸福になります。
そんな誰もが心の中にもつ、ふるさとという魂の元風景を思いださせてくれる、そんなエネルギーに満ちていました。
今回はどんな旅になるのだろう?私にとって、旅は「トーク」がメインのお仕事が多いので、「伝える」旅としての機会が多いです。
でも、今回は「受信」の旅、宇宙意識(神さま)が伝えたいあたたかい想いを、心をこめて「きく」ことが、仕事です。
私は、穂高行きが決まってから、自分の心を澄まし、清めていました。
水晶のように、心が澄んで すーっと、天の優しさが、私をお使いになりやすいように、意識の焦点をしぼり、感情をおだやかに保ち、聖母のハートに自分のチャンネルを合わせていました。
地球規模で、集合意識が動く時、大事な、大事な時期・・。
「私達は、何を知り、どう生きればいいですか?」
そんな祈りが、自然に心にわいてきていました。
この時期は、ご存じのように世界中が緊迫していて、そんな緊張が、日本にも充満していますね。緊張や訳がわからず不安になる気持ちや恐れがわいている方も多いのではないでしょうか。
「私達は、何を知り、どう生きればいいのでしょうか?」
花ごころ
やさしさの視点
夢を見て、感じて、天の想いをキャッチする、そして行動を。
穂高にいく前に、私は波動を高めて、今回の穂高の旅によせての事前受信をしてゆきました。
このお招きは、きっと
人類の集合意識に関わるお知らせであるのでしょう。
だから、その光に自分をチューニングしてゆきました。
すると、
やさしくやさしく、
光の花びらがきらきらと、しかし音はなく 静かに降り注ぐように
聖母の意識が、流れてきました。
大宇宙のあたたかい愛の意識が、言葉になり、心にふれてきました。
「表にでるものは、現れては 消えてゆくものです。
目に見えるもの、表に出ているものだけが、真実ではないのですよ。
人類のスピリットは、全体に通じています。
全体に起こることは、あなたたち一人一人の心の中で起きていることが、映されているにすぎません。」
物質次元での私達の学び、それは、元はひとつであったものを、一度分離させ、再びひとつに戻るまでの道のり。
それが、3次元での学びです。
二元化され、自分ではないかのように見えるエネルギーと出会いから、自分を見いだし、光一元へ。
対象を見て、自分のエネルギーを確認し知るのです。
「違うな」「嫌だな」「ありえない」「ひどい」「冷たい」「こんなの嫌だ」
何もなければ、「自分」も見えづらいけれど、そう感じる出来事や、そう見えてしまう人を日常で見ることで、自分がどうありたいか、自分が何を求めているか
「自分」といういのちの波動を確認できて。自分が見えます。
望まないものを体験することで、よりよく、本当は何を求めてるかがよく見える、よくわかるもの。
嘘をつかれて、傷ついて、人を信じられなくなる心の時はあります。
でも、それがつらかったからこそ、信じられる あたたかい世界に住みたいという、自分の気持ちに出会う人もいます。
冷たくされて、背を向けられて、殺伐とした空気をまとうこともある、
でも、だからこそ、優しく生きていきたいと願う、自分に気づく人もいます。
あたたかくありたい。愛を学びたいと、美しい自己表現を、模索し始める人もいます。
そうありたいと、願う人が増えている。
その方法を知りたいという、存在の祈りが、私達の潜在意識には、実は充満しているそうです。
だから、聖母意識が、声を届けにあらわれているのですよと。
ある時、
「暗い気持ちになるからテレビは見ない。胸が痛むニュースが多いから、見たくない」という声を周りから 多く聞くようになった頃がありました。
以前は、あまり見なかったような嫌なニュースが、たて続けに起こっていた時期でしたので、確かにそのお気持ちもわかるかなと思っていた時、
聖なる母性の宇宙から、学びの世界が開かれたことがありました。
聖母の心が、教えてくれたのです。
「暗いニュースが嫌だ、心が痛いというその心ではなく、
その奥で 目を覚まし始めている あなたの中の あたたかく、美しいものを伝えたい」
聖母は、そう言いました。
暗いニュースを見て、「ああ嫌だな、暗い気持ちになる、胸が痛むから見たくない」そう私達が、暮らしの中で思うときは、私達はだいたい、その「嫌なきもち」の方に焦点をあてています。
その痛みを感じたくないから、テレビを消すのです。
でも、聖母は
それが、あなた達の真実ではありません。
本当に起こっているのは、その奥の霊性の目覚めであり、
愛が反応している、人類の集合意識です。」
そう、おっしゃったのです。
「嫌なきもち」の方は、実は反応であり、それは 消えてゆく雲のようなもので、
起こっている 真実の集合意識とは、その奥で立ち上がっているものの方なのです。
この世が二元である時は、光と影の世界があります。
今は、影がより強い時ですね。
影がより濃く、よりくっきりと、より明確になっています。
だから、私達には、影の存在がはっきり見えて、嫌だな、と反応しています。
でも、影がより濃く、よりくっきりとし始めるのは、より強い光が実はそこにあるのです。
影が濃くくっきりする程、それは光があればこそなのです。
より強い光がそこになければ、影がはっきりすることもない。
影にばかり、フォーカスしていたけれど、ふとズームをひくと、かつてない程、強く、優しく、あたたかい光がすぐそこにある。
濃くくっきりしてきた影を怖れ、傷つく人類は、その影が濃く見えるのは、そばに光があるという、光の存在にまだ気づいていない人は多い。
しかし、感じ始めている人は多く、多くの集合意識が、それゆえ求め始めているのです。
弱肉強食の世の中で、戦い、自分も弱肉強食に染まるのではなく、
堂々と胸をはって、優しくあたたかくわかちあう、真に強い生き方を。
きつく、かたく、攻撃するのではなく、
やわらかいままで、あたたかいままで、全員があふれる程 幸福になれる道を。
そんなのは夢物語だ、信じられないと、しり込みする意識は まだあるでしょうが、それでも、それでも、
それでも、
やっぱり、愛が答えで、仲良くなることが答えで、わかちあい、許しあうことが答えな気がする。
それができない、むずかしい、きれいごとだと、心は暴れてしまう。
でももしそうなら、
「どうすれば、そこに行けるのか、知りたい。」
実は、まだ気づかずに、立ち上がり始めている 私達の集合意識には、そんな祈りが充満しているのだそうです。
つまり、嫌なニュースを見て私達の胸が痛み、もう見たくないとテレビを消したり、腹をたててしまうのは、
実は、その奥でかつてない程 あなたの愛が活性化しているからなんです。
愛が目覚めている。
だからこそ、不快感が色濃くでます。苛立ちが強く出ます。
それは、不自然だと いのちが感じているからです。
愛がなく、こんな世の中当たり前だよ、そんなものだよと、奥の奥から思っていたなら、胸は痛まないし、なんとも思わないでしょう。
そんなニュースは見たくない、そんな人が増えているのは、
人類の集合意識で愛を選び、愛の潮流に乗りはじめる人が増えているからだと、聖母は教えてくれました。
影が濃くくっきりするのは、実はよりまばゆい光が近づいているから。
その優しい視点への、気づきが
人類の目覚め始めた集合意識を、あたたかく活性化させてゆく 優しい泉になると、聖母意識はあたたかく教えてくれたのです。
安曇野へ、穂高へ、招いてくださる神の光を前に 私の前に開かれた、光の学びでありました。