2秒のぬくもり伝え

 

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誰もがあたたかく認められたい、包まれたいと望んでいます。

 

 

いつの頃でしたか。

 

まだ、チャネルがひらいて間もない頃、聖母意識のこのような愛の声を、受けとめた事があります。

 

 

 

『  この世のあらゆる苦しみ原因と、生きにくさの原因は、なんだと思いますか?  』

 

 

その聖母からの問いかけに、私はうーんとしばらく考えて、「怒りとか、憎しみがある事でしょうか?それとも利己主義かしら??」と答えました。

 

 

すると、聖なる母性はあたたかい、それはそれは優しいいたわりを含んだお声で、こういったのです。

 

 

『  いいえ、すべて違いますよ。』 

 

 

「え?」

 

 

その後もあれこれ、いわゆるネガティブな感情についてる名前を私は思いつく限り挙げてみましたが、聖母意識は優しくほほえみながら、首をふるような雰囲気で、それはすべて正解ではないと答えます。

 

 

するとその時、私の胸の奥の中心があたたかくなり、噴水が美しくふきあがるように、慈しみの感覚が広がり始めたのです。

その慈しみの噴水が、聖母の言葉となって溢れだします。

 

 

 『  この世の不幸の原因は、いつもたったひとつだけ。怒りでも、嫉妬でもありません。あらゆる不幸の原因、それは・・・。 』

 

 

『  自己否定です。』

 

 

その優しい声は、すべてのいのちに対する慈しみといたわりに満ちていて、深い愛のバイブレーションが私の霊性をうるおしてゆきました。

 

 

聖母の言葉は、いのちにとって深い伝達です。伝わってくる言葉以上に、たくさんのエネルギーが伝わるので、耳をすますように、心をすますと、一言聞いただけで、その言葉以上の情報量がこだましてきます。

だから、 内側から「わかってくる」ものがあるのです。

 

この時もそうでした。

 

私たちの暮らしにある苦しみの原因の一番大元は、「自己否定」

 

確かにそうだと思いました。

 

自己を否定する事は、内なる神を否定すること。自分の中の光を全面否定してしまうこと。だから、無価値感が芽生えます。

 

自分に無限の力があふれ続ける、エネルギーの流れを否定することになるから、無力感が生じてくるし、それゆえに自分にはできないとあきらめてしまい、他の人の幸せに嫉妬してしまいます。

 

無価値感も、無力感も、憎しみも、嫉妬も、利己主義も、内なる光につながっている時は、豊かに力が満ちてくるから、現れようがない。

 

つながっていれば、力をいれなくても、内側から自動的に愛があふれ、おのずと優しさが溢れ出すから・・。

 

本当にそうだなと思いました。

 

もし、自分に望むことを、叶えるのに十分過ぎる力が溢れてると知ってたら、嫉妬など生まれる必要なくなりますものね。

 

内なる自分を見失うと、自分が幸せを具現化していくのに使う、内側のパワーの供給をも、私たちは見失うのです。

 

聖母は続けました。

 

『  だからこそ、愛を思い出す為に、人には肯定的なあたたかいエネルギーが必要なんですよ。 』

 

 

 

嫉妬も、卑屈さも、怒りも、自信のなさも、たった一つ 自己否定が癒されると、再びあたたかい豊かなエネルギーが、私たちの中に流れ始めて、元からもっている人生を創造する力があふれ始めてくるのです。

 

『  誰もが忘れているからこそ、自分は無条件に受け止められているという、誰かの優しいお認めが、いのちを力づけるのです。やさしい光を送り続け、あなたは大切な存在なのだと感じさせて、愛のエネルギーを届けてあげる事が必要です。』

 

 

 

そうする事で、私たちの運命は幸せに向かって活気づき癒されてゆくんですね。

 

 

 

聖母意識は、教えてくれました。

 

 

『だからこそ、たんぽぽの綿毛をやさしく舞わせるように、優しさへの招待状を送りましょう。

 

誰かに認められている。受け止められている。役にたてている。喜ばれている、という実感は、出会った魂さんのエネルギーレベルをあげてゆくのですよ。

 

そのエネルギーを届ける為には、優しく相手の瞳をみつめましょう。瞳を優しく見つめることは、相手の魂を認めることなのです。いのちを、やさしく抱いてあげることなのです。

 

それは、相手の霊性を天上の愛のエネルギーでうるおすことなのです。』

 

私の胸に、あたたかい桜色が満ちあふれ、やさしいエネルギーが溢れだします。

 

会えて嬉しいと思える人がいたり、して頂いてありがたかったことがあったら、感謝をこめて、ぜひ、相手の目を優しくみて、心のこもった言葉をかけましょう。

出会った誰かのいのちが、自分もまた、誰かを幸せにする力があるんだと実感できますように。

 

誰かを喜ばせている。

 

役にたてているという喜びの実感は、魂を力づけて行きます。

 

誰かに認められると、魂は自分の出したエネルギーの素晴らしさを鏡のように映し出して気がついてゆけるからです。

 

それは、世の中をよくしていく愛の光をひろげてゆきます。

 

 

  2秒のぬくもり伝え。それは信じるに足る世界のはじまり。

 

 

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目は心の窓。

 

それはどなたが言い出した言葉なのでしょうか。目は心の窓、魂の窓です。目が合うということは、エネルギーの交流なんですね。

 

目を優しく見つめると、いのちを直接、あたためてあげることができるのです。

 

目と目が優しく出会うというのは、相手さまの魂の素晴らしさを、お認めすることなのです。

 

 

例えば赤ちゃんは、おかあさんにくりかえし目を優しく見つめられることで、自分が大切な存在であり、この世は信じられる世界であると理解します。

 

優しく見つめる、目をあわせることそれは、人と人が信じあう世界の始まり・・。

 

それは、いのちを慈しみあい、敬いあう世界の始まり。

 

相手の魂を優しくしっかりと受けとめてあげることです。

 

ただし、じいっ~と目を凝視するように力をいれて相手の目を見てしまうと、カルマの多い今の地球では、誤解されたり、逆にくつろげないで、居心地の悪さを相手に与えてしまう時もあるでしょう。

 

今までの生き方の中で、痛みを抱えてきた方などは、目をみられることに抵抗を感じられる方もおられます。目をみられる事に慣れていなくて、緊張する方は多いです。

 

でも、ぬくもりを伝えるのに、じい~っと、強く長く目をみなくても大丈夫なんです。

 

ほんの一瞬の、ふっとふれる優しいまなざしの出会いで充分なのです。

 

時間をきっちりはかる訳ではありませんが、だいたい約2秒ほどがやわらかいですね。

 

目を見て「1,2」

 

にこっ、ふわっ。

 

くらいがちょうどいいようです。

 

なので、私は友人と話す時や、お買い物でレジの方とふれあう時、誰かと話した時など、別れ際、去り際などに相手の目と、目をあわせて、にこっふわっと、優しく見つめるようにしています。

 

もし相手が、目を見られることに落ち着かないそぶりが見えた時は、そっとそれに気づいてあげて・・。

 

その時は、魂を怖がらせない 優しいコツがあるんです。

 

目をじいっとみるより、ちょっと視線のフォーカスをソフトフォーカスにし、視線はビームではなく、ふんわりさせて、相手の肉体の両目ではなく、眉と眉の間にあるという、もう一つのその方の聖なる瞳・・。

 

いわゆる第三の目をふわっと包み込み、第三の目に、目を優しくあわせるようなイメージで、相手の眉間のあたりを優しく見つめます。

 

すると、目をみられたくないと傷ついている方でも、なぜかほっと安心して、受け止めてくださいます。

 

 

 

 

 

あなたは大切な存在です。

 

 

 

あなたは大切な存在だと、会えてうれしいと、優しい瞳に託して、相手の素晴らしさをみとめて愛してあげましょう。

 

 

ふわっと、優しい瞳から相手に幸せを送りましょう。

 

楽しかった、ありがたかった、おかげさまです、大好きですよ、いつもありがとう、の優しさを、トゲのないやわらかな微笑みのまなざしで、優しさを注ぎましょう。

 

今日はご家族の目を、やさしくやさしく見つめてくださいね。

 

ご主人さまの目を、奥様の目を、

 

子供達の目を、そしておじいちゃんおばあちゃんの目を、かわいいペットの目も忘れずにね。

 

やさしくやさしく見つめましょう。

 

言葉以上に伝わる愛が、きっとありますよ。

 

優しく視線が出会う場所は、

信じるにたる愛と真実が育つのです。