物にも心があります
物にも、波動があります。大切に愛をこめて扱うと、あたたかい愛と幸運が還ってきます。
私はアクセサリーなど、身につける装飾品をこよなく愛しています。
それらを、魂を表現させて頂く光のお道具として、とても大切にしています。
いつからか、装飾品は富や権力の象徴のように見られる事も多くなってしまいましたが、装飾品とは本来、アミュレット(お守り)としての力があり、古代から、神につながるとても神聖なものだったのです。
私はトーク会などのイベントではよく、キラキラしていて光を反射するタイプのアクセサリーを身につける事が多いです。
これは、イベントでは、私はチャネルとして、聖なる母性の光とエネルギーの媒体となっていますので、
私の体の中を聖母波動の大愛が本流となって流れ入りますが、
その流れ入った聖母のエネルギーが、アクセサリーに反射するのです。
私が身につけたキラキラで、天の光が、目に見えてお客様に反射していくからです。
エネルギーは目にみえないけれど、みえるように、光を反射するので
トークの時、お客様が私をごらんになると、キラキラ反射する聖母の光が、目から幸運となって届けられてゆきます。
だから、なるべく光を反射するものを、身につけるようにと、魂の誕生日を迎えた頃、聖母が教えてくれたのです。
ですから、私のアクセサリーケースの中は、それはもうキラキラです(笑)
けれど、毎回身近な人々に驚かれるのは、キラキラしているからとても高価なものと思われているみたいなのですが、
実は私のアクセサリーには、ブランドものや、ものすごく高価なものはほとんどありません。
中には購入した時には、1000円以下だったものさえある程です。
安いから恥ずかしいとか、高いからだめとか、そういう意識は私にはほとんどありません。
何故なら、私は金額やブランドではなく、そのアクセサリーさんの存在感を一番に大事に、愛しているからなのです。
例えば、安価なものでも、私を幸せにしてくれるアクセサリーたちの存在感は、私にとってはとても高い存在価値があります。
物たちの、その優しさやギフト、光の存在感そのものを愛しています。
ですから、私のお買い物は早いとよく言われてしまいますが(笑)
アクセサリーを売っているお店にいくと、私はそこに自分のもとに来てくれるものがあるかどうかが一目でわかります。
何故かといいますと、目があう感じがするのです。
純粋に私が「きれい!好きだなぁ」と感じるものを選びます。
そばにおいて、わくわくときめくものを選びます。
そして、ここがすてきなスピリチュアリティの始まりですが、
ブランドだから、とか
これ安いから恥ずかしいかしらとか、ではなく、
純粋にその「もの」が好き、「なんて綺麗なの、大好きだわ」なんて自分が思っている時には、
向こう(アクセサリー・物の意識側)からも、同じようにこちらに愛を向けて、こちらを大好きだと思ってくれているのです。
その物の存在を愛でて、わくわくして、大好き!と思うと、
その物も私を愛して、大好き!と思ってくれる。
だから、オーラが通いあって、すごく煌めき、私の中の光をひきだしてもくれるのです。
そのエネルギーの交流が、オーラを強化してアミュレットになるのです。
大好き、とその物の存在を愛でて愛すれば、
その物は、自分の役割を最大限に発揮して 頑張ってくれるのです。
そして、人間が物を愛し、大事にすると、その人のエネルギーが物に浸透し、物を活かすので、
その物自体の寿命が伸びてゆくのです。
ですから、私のアクセサリーケースには、魂の誕生日の頃に私のもとにやってきてくれて、30年前からずっと変わらずに活躍してくれているアクセサリーさんたちもいます。
よく、壊れずに長い時を、頑張って助けてくれていると感謝でいっぱいになります。
「あんなこともあったね」
「こんな涙もあったね」と、よりそってわかちあいたい存在たちがいっぱいいます。
私の歴史をそばで見てくれて、一番そばで聖母波動を受けてくれた存在たち。
最高なパートナーです。
私のアクセサリー選びの基本は、軽くてキラキラして、聖母を感じるもの。
そして、大好き、と心通いあうもの。
そう、
ものにも心があるのです。
だから、大切にその物自体の存在を愛してあげれば、愛がかえってきます。
ものにも、いのちは宿るのです。
私達の暮らしを幸せにしてくれる、たくさんの「物」に感謝します。
すべてのものが、大切に扱われる世の中でありますように。
ものを大切にする事は、自分を大切にすることです。すべての存在が、愛され 大切に扱われますように。