光のお守り
あたたかい言葉をかける事は、相手を包むやさしいお守りの力なのです
例えば、私達がさみしくてたまらない時。
自分が嫌いで、自信なんてかけらもなくて、人生が凍えているような時・・。
私達のオーラは凍えて、くすんでいます。陰っています。
こういう時、魂を本道からずらしてしまうような出会いやお誘いに、流れがつながってしまう事も、あります。
本来の魂の本道から、遠回りしてしまう道につまずいてしまう事があります。
本当は、その人の魂のプログラムは、今がタイミングで、素直ささえあれば、自分を表現でき 夢が叶う時であるとしましょう。
でも肉体の自分には、今はそのタイミングかどうかはわからないですね。
だから自信がなくて、怖くなります。
魂の世界からは、導きがきて、今は自信がなくてもとびましょうと、勢いをつける時だと、光が届いているのです。
本当は、そのまま行けばそれまでにはなかった、すごい幸福な世界が開き出す手前にいたのに、
自分への自信のなさと、周りへの依存心がある為に、その依存心に傾いて心が光からずれだすと、心に少しの隙ができてしまうのです。
そうなると、内なる神から離れたその波動が、波動同士の引力から、同じ波長を引き寄せてしまいますから、
「そんなの馬鹿馬鹿しいよ。やめて、騒ごう!」という、光から気をそらす波長を今選択なさっている人々とつながっていったりします。
みんな自信のない人々。
自分自身がみえていない波動の世界とのご縁・・。
そうすると、本来体験しなくてもよかったはずのトラブルが、展開してしまうこともあります。
本当の自分から、波動がずれたのですね。
波動がきわどい波長で二手に別れている時は、微妙な違いが大きい差になるのです。
このような時は、その人の守護天使界は、一生懸命心を尽くし、その人を助け、本来の幸せから目をそらさずに、愛に留めようと光を送り、心を尽くしておられるのです。
でも、恐れが強く、自信がなくて、自分のボリシーも見失っている時は、人は自分の光から目をそらす方にとひきよせられやすいです。
そちらが魅力的だと思って錯覚してしまい、本道から降りてしまいます。
あと一歩だった素敵な波動を、自分への疑いから手放してしまうのです。
だから、愛が見えなくなり、例えば助けてくれた恩ある人に背を向けて、裏切るように遊んでばかりいたり、
本当はその人を本道に戻してくれるアドバイスをくれる人を避けたりして、ばかにするようになり、悪口をいうようになっていったりします。
だから、どんどんエネルギーが曇って、さらに守護天使の守護の光を遮り、しまいにはその光線が届かない場所まで、降りてしまいます。
こんな時、私達の人間界では、ぜんぜん導きがないかのように見えるでしょう。
でも、そんな時、光を覆って道に迷ってしまった魂のそばに、
あたたかい言葉が届けば、それは、光のお守りとなります。
光を覆い隠し、本来の道からずれていくように見える人を、お助けする光の一つが、優しい言葉という接点なのです。
誰かがさみしそうな時、
苦しそうな時、
少し心配な時でも、
それを説得するでも、お説教するでもなく、心のこもったあたたかい言葉を放つ人が、道に迷った魂のそばにいたら、それは素晴らしい力を発揮します。
その事について話す訳でもなく、
守護天使からの言葉をリーディングする訳ではなく、ただキラリとした光の通った一言を放つ人がいるだけで、そこに本物の天の愛が届いてくる入り口ができるのです。
あたたかい波動をもつ言葉は、光との接点です。
例えば、通りすがりに、「おはよう、いいお天気ね」と、清々しく声をかけてもらえたり、
「元気~?今、会えてうれしい~。」と、にこにこあたたかく手をふられたり
家ではおかあさんが、奥さまが、
にこにこあたたかい笑顔で、
「いってらっしゃい。気をつけてね」と、優しい言葉で送られたり、
「おかえり~お疲れ様」と、あたたかく迎えられたりと、光の通う言葉をもつ人に会えたなら、
それは、光のお守りなのです。
たった一言の挨拶のみでも、
光が通う一言を相手に向けてあげると、
その「光の波動」を、相手の守護天使さまがお使いになれるのです。
にこっと笑って、「元気~?」と通りすがりに、偶然あってあたたかいバイバイを交わしただけでも、
心ある人の、声と言葉からは、
光が流れるので、その光を守護天使さんがお使いになり、光が通るのです。
だから、のちに後悔する事になりそうな、魂と違う道にそれている時には、光があれば守護天使が「そちらではないですよ」と、くっとブレーキをかけてあげられる力をお渡しできるのです。
もちろん、お助けしたい誰かがいる時は、コントロールにならないように、あたたかい言葉をかけてあたためるまでが、光を運ぶ人の役割で、
あとは答えや道は強要せず、守護天使におまかせしましょう。
私達の何気なくも優しい言葉は、、光を運ぶ接点です。
挨拶ひとつでも、社交辞令ではなく心が通うと、誰かのお幸せの役にたてるのです。
挨拶は、それを向けた方と、その背景の優しいご存在に幸福をもたらす光だと思ってみてください。
あなたが、「おはよう」とあたたかくいう度、「ありがとう、また明日ね」と、声にする度、
幸せで誰かをお守りできる。
それは、優しい祈りでもあるのですね。