慈しみのスピリチュアリティ
自分を愛する為の優しい気づき
「神さま、自分を愛する為には何をすればいいですか?」
誰もが、自分を、愛することに四苦八苦しています。
人の目や外側の状況ばかりに目がいく事に慣れすぎていて、内側の一番大切にしなければならない すべてのスタート地点である自分が、後回しになってしまっています。
愛したいし、愛されたいのに、どうすればいいのかがわからないでいます。
自分を愛することは、すべての幸せの基本。
でもそれをする為には、何か特別なこと、すごいことをしなくてはいけないような気がしてしまいますね。
けれど、愛することは、波動であり、フィーリングなのです。
「今」この瞬間からすぐ、動き出せるあたたかい行動です。
例えば、ある日のこと。
急に寒くなった日。私はふと、お部屋の中で自分が肌寒いなと感じている事に気づきました。
膝のあたりがひやひやとしてきていて、気温が下がったのかな?と、自分が寒さを感じている事に気づいたのです。
我慢すればできそうな微妙な寒さでしたが、私は膝掛けをとりにいって、
ふぁさっと自分の膝にかけてあげました。途端に、からだがほっとするのを感じます。
ひやりは消えて、ふぁさっと寒さがあった場所があたたかくなって、ほっとします。
寒かったと感じていた微妙な感覚が、あたたかくなりましたから。からだは、少しだけほっとしてくれたのです。
ふぁさっと膝掛けをかけて、寒さを感じていた場所があたたかさに包まれて、かすかにほっとする。
この時私は、私に愛を注いでいるのです。
また、ある時は逆に、私としては まだそれ程寒さを感じていなかった日に、用事があってでかけたビルの中ですでに暖房がききすぎていて、少しあついなと気づいていた私は、ビルから出ると、外の冷気が清々しく感じて、気持ちよくなりほっとしました。
気持ちよくて、ほっとする。
さっきまであつすぎるなと感じていた私は、外気の澄んだ空気に感謝しました。
ほっとして気持ちいい。
わずかな時間でしたが、体が喜ぶ範囲分、次の目的地まで 歩きながら外の空気の清々しさを自分に感じさせてあげました。
この時、私は私に愛を注いでいるのです。
小さな小さな「内なる声」を、私のいのちは持っていて、
「ちょっとだけ、寒いかしら?」
「ちょっとだけ、暑すぎるかしら?」
例えばこんなふうに 気温の「暑い」「寒い」を、感じる感覚もいのちの声です。
それにも、ものすごく寒い(暑い)から、ちょっとだけ寒い(暑い)まで、ボリュームがあるでしょう。
それは、私達は自分が感じていると同じ感覚を皆が感じていると思いがちですが、体質や体調のコンディションは人それぞれですから、実は皆同じとは限りません。
自分が寒いと感じていても、他の人はそれほどでもないかもしれません。けれど、自分が感じている感覚を大切にして満たしてあげられるよう、自分に心をかけてあげ 例えば膝掛けなどをかけたり、一枚羽織る、暑ければ一枚脱げるなどように、自分の感覚をわずかでも心地よくしてあげて天国にしてあげる。
自分の声を感じて、私は私自身をほっとさせてあげます。
波動がわからないと多くの人は戸惑ってしまうけれど、本当は感じているのです。
でも、これくらいならと見逃してしまう。
自分が感じている「いのちの声」を大切に扱うこと。
例えばこんな、小さな小さな、かすかな感覚の声に、ふりむいてあげる時、こんな些細な瞬間からあなた自身のエネルギーが回復してゆきます。エネルギーがゆっくり変わり始めるのです。
あなたの運命と、暮らしに 愛がゆっくりと通い始めるのですね。
あなたの体を快適にしてあげること。
あつい、寒いの声さえ、自分で労るごとに、ほっとする瞬間が訪れます。
ふぁさっあったかい。
すーっと涼しい、気持ちいい。
自分に合う「今」に出会うと、いのちはほっとします。
そのほっと、楽になる瞬間は、
自分を、愛しているのです。
慈しんでいるのです。
これほどのささやかさ、
これほどの易しさ、
これほどのありふれた一瞬で、
愛は生まれ、
そして、人生の流れを変えて行く力になってゆくのです。