優しく思う事は、力です

多くの人がご存知の通り、動くこともできない程こんでいる電車の中というのは、
とても不快なものですよね。
ついついイライラしがちな場所ではないでしょうか。
でも私はこんなシチュエーションが自分に与えられた時はいつも、
心の中のキャンドルにあたたかい祈りをぽっと灯すようにして、
大切にしている真理があるのです。

こんな時は、確かに嫌だし、不快だし、疲れるし、
電車が満員だとその不快さを想ってため息もでてしまいます。
ついついイライラしたり、すぐそばにいる人達に腹をたててしまう事もあるでしょう。

でもそんな時は気がつきませんが、他の人のサイドから見たら自分も又、
誰かにとっての満員電車の不快さの一部であるという、あたり前の事を忘れてしまうのです。
それを忘れると、私達はついついまるで自分だけが不快な思いをしているかのように思い、
そうふるまってしまいがちです。

ぎゅうぎゅうづめの中では、悪いなと思う心があってもどうしても体が動かせないように、
他の人も同じかもしれないし、 又、自分のバックのかどがうしろの人にあたって
人に痛みを与えるなんて気づかないことも多いものです。
私達は意外と気がつかないでお人に迷惑をかけていることも多いのです。
満員電車って人がいっぱいで苦しいから嫌だなぁと思う時、ふと気がつけば
自分も又誰かにとっての満員電車を嫌なものにしている一因でもあると気がつけば、
そこに新しい気づきと共に、あたたかな思いやりも生まれてくると思うのです。

気づいた時、心の中のエネルギーが変わってゆくのですね。
気づいた人はなるべく周囲に嫌な気持ちをあたえないようにと
自分の存在を優しいオーラで包みこみ、思いやるというあたたかさから
自分を周囲に与えたくなるでしょう。
こんな美しい気づきが実はスピリチュアルの始まりなのです。
スピリチュアルとは趣味のジャンルの名前ではなくて、
内面からわきでるあたたかい生き方そのものなのですね。

私達の日常生活は、私達のいのちにとって愛を想い出し、
愛を表現する素晴らしいレッスン場なんですね。
自分のいのちという優しいダイヤモンドをきらきらに磨いてあげられるチャンスなのです。

私達は思いがけない優しさやさりげない親切に出会うと、
心が嬉しくてあたたかくなる事を知っていますね。
例えそれがささやかなものであっても、こめられた心があたたかいと
感動が心をふるわせてくれる事も知っています。
けれどもそんなふうに心があたたかくなる事は知っていても、
その「ぬくもり」や「優しさ」や「いつくしみの気持ち」が
魂の中の美しい神性が発露したものである事に気がつく人は少ないかもしれません。

例えば、満員電車の中のどうにもならない不快さの中で
自分のいらだちを主張するばかりではなく、
相手をあたたかく思いやり優しくつつむ事により、
私達はもしかしたらそこに生まれるはずだった、
いらだちや嫌な気持ちを消してゆくことができるのです。
周りに広がるはずだったイライラを、
すがすがしいエネルギーに変えてあげる事ができるのです。

優しく思う事は、力です。

あたたかく幸福な毎日は、殺伐とした心からはけっして生まれてはきません。
目に見えるものも、目に見えないものもすべてを視野に入れて、
あたたかく想い、やわらかな心で幸福を祈る…。
そんな心から生き始めたら、あなたの中のエネルギーは綺麗に綺麗になってゆきます。
そんなエネルギーに、私はいつも憧れて、毎日を大事にしたいと思っています。