あたたかい心を結んでゆく生き方

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縁はあたためるもの。

 

 

皆様、こんにちは。

 

メッセージの連載は、楽しんで頂けていますか?

 

このメッセージ連載は、聖母光線を万華鏡のように、いろんな角度で形を変えながら、発信しています。

 

今日のメッセージは、どうぞゆっくりと、お茶でも飲みながらお楽しみくださいね。

 

 

いつか見た映画の一場面を、私は時々思い出すことがあります。残念ながらもうタイトルを忘れてしまうくらい以前に見たものですが、それは『輪廻転生』を軸にしたテーマの映画でした。

 

 

その中で脚光があたるはずの主人公の動きよりも、そのメインテーマにつながる伏線の設定に私はとても心動かされた事があります。

 

絵画でいえば額縁の部分に、私のハートが深く頷いた内容がありました。

 

それは「袖すりあうも他生の縁」というように、例えば、前世で通りすがりに自分の犬を助けてくれただけのご縁の人が、生まれ変わり、今世では、会社で朝挨拶をかわすくらいの掃除婦さんとして、実はすれ違っていたというもの。

 

メインテーマではないために、映画では主人公のお話にすぐ戻ってしまい

、それはさらりと流れてしまった一瞬のシーンでしたが、私はサイドをうめるその設定に深く共鳴してしまい、映画館の中で、ついつい意識があちらこちらへと飛んでしまいました。

 

その時、映画館では、私の隣の席にお名前も知らない若い男の子が座っていたのですが、もしかしたら、お隣でボップコーンを頬ばっているこの方とも、前世ですれ違っていて、ほんの一時私の人生とクロスしていつかどこかで、通りすがっていたのかもしれません。

 

そう思うと、宇宙の大機構への畏敬の念で私の胸がいっぱいになりました。

 

宇宙の愛と、神様の優しさのスケールは本当に素晴らしい!素晴らしくあたたかい。

 

誰も気づかない一瞬、誰もふりむかない程のささやかな つながりですら、忘れないで私たちを再び出会わせてくれる。

 

ほんの一瞬、本人たちの心にすら残らない程の小さな一瞬の出会い。蝶々のはばたきのような小さな微風しか起こさない縁ですら、神の愛の中では、大事に大事に扱われているのです。

 

 

 

私の霊性は、映画をきっかけにそんな宇宙の優しさに、あたたかく深く反応してしまい、人生でクロスオーバーする人々に、いとおしい気持ちが溢れたのです。

 

 

『縁』というものには、強弱があります。深く関わる、浅く関わる、いろいろありますが、それでもどの『縁』にも必ず意味があるといいます。

 

そうだとするならば、例えばささやかな通りすがりのご縁をも願わくば、大切にあたたかい縁まで育ててみたい、そんな気持ちがこみあげました。

 

 

それはゴールではありません。縁はさらにあたたかく育てるもの。

 

この世では前世からずっとあなたを信じ、あなたを愛してくれた人々がいます。

 

例えば、前世はみえないわからないとしても、今、そばにいて気持ちが通いあう人は、前世でもそのようなあたたかい時間を、すごしていたはずです。

 

また、反対に最初からそりがあわない、なんだか好きではない、一緒に何かやると必ず衝突してしまうなどのどうにも嫌な縁というのがあるものです。

 

こんな時、ああ前世で敵同士だったのかしらなんて、思うこともあるかもしれません。

 

でも、もしそうだとしても、その縁は魂の営みにとってゴールではないのです。

 

だから、私たちは再び出会うのです。前世を、くりかえす為ではなく、

 

先に進むためです。

 

犬猿の仲であっても、その摩擦のある姿がゴールではなく、生まれ変わり再び出会うのは、私たちが摩擦の原因をやり直し、愛を学んで お互いの本当のあたたかさで出会う為・・。相手を認めあい、あたたかい愛を通わせることを、学ぶため。

その幸せを通わせる為・・。

自分を中心に広がる様々なご縁を、喜びが通いあい、信頼に足る絆へと育てること。

 

今の縁を、あたため、育て美しく強い絆に育てることが、私たちの出会う意味かもしれません。

 

ひとつの映画を、きっかけに私はそんな魂の成長の素晴らしさに思いを向けました。大切な気持ちを思い出しました。

 

縁は育てるもの。

だから、大事にしたいと思いました。

 

 

縁を大切に育てると、あなたの幸せな居場所が増えて行きます。

 

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私には、ふと寄るとあたたかく受け入れてくれるステキななじみの お店が数件あるのです。例えば、昔ながらの時が静かに流れてるおちついたお店で、マスターが静かに珈琲を入れてくださる喫茶店とか、仲のよいご夫婦が変わりばんこに子育てしながら、協力しあって開いてるイタリアンのお店とか、ちょっとおしゃれしていきたいマクロビオティックのレストランとか。他にもいろいろ。

 

今では素敵なくつろぎを与えて下さるこの数々のありがたいお店も、初めて訪れた時は当然の事ながら、たまたま入っただけで、お店の方々と私は、知らない人同士。

 

私はお店のマスターや従業員さん方にとっては、たまたまお店にきたお客さんというだけの、通りすがりです。

 

でも、それが今ではさまざまなお店のドアをあけた途端『わあこんにちは!』『ひさしぶりですね~。』としょっちゅうは行けなくて久しぶりであっても、いつもあたたかい笑顔で私を受け入れてくださり、ベジタリアンである私の、テイストを説明いらずで、『いつものですか?』と対応し、笑顔で受け止めてくださったり、

私の好きなものをとっておいて下さったりもします。季節の新作メニューが出た時は、『今回はどうですか?』と仕事の手をとめて、お話にきてくれたりします。

 

楽しい会話が、嬉しくて、こんな時、幸せだなあと胸があたたかくなるのです。

 

このような幸せをくださる場所が私にたくさんできたのも、縁は育てるもの  といういのちの営みに気づき、それを大切にしたいと生き始めた優しい真理のおかげなのです。

 

ある日、気づいた小さな気づきは、その後の私の生き方を大きく変えてくれたのです。

 

何気ないささやかすぎる実践ですが、とても大きな幸せをもたらしてくれた、例えば私の縁の育て方はこのような感じで始まりました。

 

あたたかいご縁をいただくお店のひとつ、ほっと落ち着かせてくれる珈琲の香りに癒される喫茶店にはじめて入った時のことです。

 

このように生きようと何らかの意志をもつと、エネルギーがその方向に流れ出して、導きは必ず人生に現れます。

 

その導きは、例えば「ふと気づく」「胸に感じる」というフィーリングとして、訪れます。

 

始めて入った時、この喫茶店でわたしは読書をしていました。

 

当時は自然の中で瞑想するのがとても気持ちよくて、オフの日はよく公園に出かけていて、そのお気に入りのスポットへの道のりにあったお店だったので、なんとなく一息いれようと入っただけの場所でした。

 

本をひらいて、読み始めた時にはまだ、その後この喫茶店に何度もご縁をもつことになるとは、わかっていませんでした。

 

でも、縁という優しい接点からは、何か光がでているのでしょうか?

 

読書に夢中になっていたはずの私が、たちのぼり始めた珈琲のよい香りに、ふと顔をあげたのです。

 

ふわり、ご縁を運んでくれたのは、この時は珈琲の心なごむ香ばしい香りでした。

 

顔をあげると、マスターが注いでいるかすかなお湯の音にも気がつきました。

 

 

 

 

静かな店内で、音楽は同じく静かに流れているものの、誰も話していない店内は、珈琲をいれるかすかな音だけが存在していました。

 

この、気がつく、意識がそちらに向くということが、波と波が出会っている「縁」の始まりなんですね。

 

私はどんな業種の方でも、プロの仕事をする人が、大好きなんです。プロフェッショナルな感性で、プロの仕事をなさる人からは、学ばせて頂けることがたくさんあります。マスターの佇まいは、とてもすてきで、
寡黙な方なので言葉はありませんが、佇まいが雄弁に語られていました。

 

この方は珈琲が大好きなんだ。ご自分のお仕事を心から愛しておられる。そして、最高のものを提供しようと、珈琲の中の一番よいものをそこに現そうと集中してる。マスターの佇まいは、それを雄弁に語られていました。

 

まるで、瞑想していらっしゃるかのような美しいオーラがマスターからたちのぼっていたからです。

 

珈琲と対話なさるように、プロのセンスを使っておられました。

 

さりげない出会いだけど素晴らしい事を学ばせて頂きました。

 

私も自分の仕事を心から愛しています。だからそのマスターの仕事に向かう佇まいは深く胸に響きました。

 

本物の人って、静かに自分のなすべき事をしていらっしゃるんだな。

 

この方は、前世でも私にそう気づかせてくれた方として いつかどこかですれ違っていたのでしょうか?

 

会話を交わしたことなどないのに、私はおいしい最高の一杯をいただきながら、マスターの魂に感謝しました。美しい気づきに気づかせて下さった事を。

 

カップからたちのぼる薫りに癒されながら、私はささやかでも深い時間に感謝をおぼえ、すっかり癒されてながら、思い出していました。

 

『 縁は育てるもの。』

 

ただ、この心に生まれた波を外にださずに、自分の中だけにしまっていたら、縁はそこで終わります。

 

でも縁は育てるもの。
真理の世界は呼吸のリズムと同じ。受け取り、与える、この2つのリズムが出会った時、縁は育ち初めます。
つまり、相手から受けとる一方では、縁は育たないのです。珈琲を飲み終わったら、それで終わり。

 

心にふれたものを相手にお渡し、
縁の糸と糸が交差する場所を、あたためてゆくのです。

 

だから私は、マスターが下さった最高の魂の表現をしっかりと受け止めたことを、胸をあたたかくしながら、言葉にしてマスターに捧げました。

 

『香りがとてもよくて、すごくすごくおいしかったです。また来ます。』
すると、マスターは一瞬驚いた顔をなさり、すぐ嬉しそうに『いやーありがとうございます。よかった。またぜひ来てください。』と受け止めてくださり、エネルギーがまわりだします。
こうして、縁が育ちます。

 

2回目は、知らない人ではなくお互いを認めあい笑顔で出会います。3回目も、その次も・・。

 

今や私と一緒にいく人たちの好みすら知っていてくださるマスターです。こうやって縁が生まれた所に、あたたかい居場所ができるんですね。

 

通りすがりの縁は、あなたの真心で美しく優しい縁へと育てることができます。

 

宅急便を届けにきてくれた方、あなたのご近所のコンビニの店員さん、映画館の窓口の方でさえ、いつか魂は一瞬だけ交差して、通りすがっていたのかもしれません。

 

そう思うと胸があたたかくなりませんか?

 

通りすがりで、終わるはずだった縁も、あなたが、ふりむいてあたためる時、それは感謝があふれるやさしい縁に育てることが、できるのです。

 

今出会っている人、これから出会う人、出会うというのは、そこに「縁」があるのです。

 

あたためてみませんか?

縁を育てることは、自分を育てることなのです。