つながっているぬくもり

 

 

 

 

 

 

 

私達には 愛するこころがあります。

 

 

自然に こみあげて 愛を感じる こころがあります。

 

 

 

愛を感じる・・。

その時 胸があたたかくなりますね。

 

 

不思議ですね。確かに感じるのに、そのあたたかくなった「何か」に私達は手でさわる事ができません。

 

とりだして お見せする事もできません。

 

 

でも、感じる事はできます。

 

 

その、あたたかくなる場所を、

「霊性」といいます。

 

 

目に見えない、あなたの本体、

エッセンスの入り口です。

 

 

 

「本当の自分」という愛の宇宙意識へのはじまりです。

 

 

 

自分を愛し、大切にするという時、

接待するのは、エゴの自分や人目を気にするカルマの自分ではなくて、

 

 

本質にある

この『あたたかい内なる自分』の事なのです。

 

 

このエッセンスの自分は、あらゆるものと一致しています。

 

 

 

大宇宙の神様とも 本来 ピタリと一致 していて、

 

 

あらゆる善き運命のタイミングとも、

 

地球とも、植物とも、動物ともつながっていて響きあい、一致しています。

 

 

 

そして、自分のエッセンスは、他のすべての人類のエッセンスとぴたりと一致しています。

 

 

 

だから、

自分の五感を優しさで包み、

心があたたかくなり ホッとできたなら、

 

 

 

それは自分の霊を優しくすると同時に、他のすべての人にやすらぎをもたらす祈りとなるのです。

 

 

 

あなたを満たす事は、

他の人々のエッセンスに優しく仕えること。

 

 

自分のエッセンスを愛する事は、全体に愛を広げること。

 

 

 

この内なる一致がわかれば、

自分を愛する事は、

自分を満たす事は、

 

 

地球への奉仕であり、

すべての人々のエッセンスへの奉仕なのです。

 

 

だから、自分を粗末に扱うのは、世界を粗末にする事になる。

自分をたたく事は、痛みを世界に送っている。

だから、『自分さえ我慢すれば』という自己卑下は、多くの皆さんに魂の冷え・凍えを広めてしまう。

 

 

誰もに、一人に一つずつ、エッセンスは宿されていて

それがゆえに、私達は全体に影響を与えあいます。

 

 

愛と喜びは、他に依存せず自己発電が可能です。

 

波動は選ぶ事ができるから。

『私なんか』『私さえ』『どうせ無理』と、魂の冷え性、ひねくれ、落ち込みさん現れたら、

 

 

 

そのまま 落ち込むのも いいけれど、(笑)

 

 

まずは、気持ちのよい場所に、ふかふかのクッションなど添えて、

心地のよい場所で、

自分を休ませてあげませんか?

 

 

 

イライラ・グジグジ(笑)も、けっして悪くないけれど、

 

 

 

そんな自分をまるごと受け入れた上で、

自分をあたたかい居心地のよい場所に座らせてあげて、休ませてあげる。

 

 

 

うずくまるより、おいしいお茶を飲んであげた方がステキ。

 

あの人にこう思われたんじゃないか?嫌われたんじゃないか?と悩み縮こまるより、

大好きな音楽をかけてあげて、歌を口ずさむ方がステキ。

 

 

心がこわばったなら

あたたかいお風呂に入って、やすらいだ方がいい。

 

 

何故なら、そうやって五感が心地よく幸せになると、

波動があがり、五感以上の自分にふれて、存在の奥の扉が開いていきます。

 

 

自分を心地よくしていると、無条件で、愛があふれてきてくれます。

幸せな気持ちがあぶれてきてくれます。

 

 

だから、自分を心地よく整えているだけなのに、

その人のまわりには、幸せな愛のオーラが花開くから、

ふれあうすべてに幸せをふりまいてしまいます。

 

 

自分に慈しみを注ぎ、

自分を満たすことは、あたたかい祈りですね。

 

 

その時、あなたの内側からは愛が宇宙から流入してくるからです。

 

 

 

自分を愛すること、それは

素晴らしい奉仕なんですね。