一番初めの純粋な愛(2)

fg083_l いめーじ

 

 

 

本当の自分とは「我(エゴ)」の自分ではなくて、【神様が最初に生んで下さったままの真っ白な自分】という意味なのですね。

 

 

素直の「素」というお文字は、まだ何色にも染めていない真っ白な糸を表しているそうです。

 

 

だから、まっしろいソーメンは「素麺」とかきます。まだ何色にもそまっていない、天の糸です。

 

 

「素」の自分とは、神様から生まれてきたままの、真っ白な自分のことです。

 

 

 

私達は、自分を理解するこの最初のスタート地点が 実はずれています。

 

 

 

それがゆえに、今私達は自分を愛することが難しいのです。自分を愛そうとすると、自分を甘やかすことにかたより、歪んでしまうのです。

 

 

 

私達の存在は、あたたかいランプのようなものだと、聖なる母性は教えてくれました。

 

 

 

神様の分け御霊。大元の創造主の「一」なる優しい神様がひとつのキャンドルだとしたら、その種火から私達の胸のキャンドルに炎を分けて頂いた優しさです。

 

 

ひとつのキャンドルから、分けて頂いた炎でも、最初の炎とまったく違いはありませんね。

 

 

 

その分けて頂いた優しい炎が、私達のいのちです。だから、私達は、神様とまったく同じ優しい炎をもっています。

 

 

 

私達は優しいいのちのランプです。存在の奥には誰もが優しい神の光をもっています。しかし、ランプには、その優しい炎を守るガラスのケースがついていますね。

 

 

 

このガラスケースは、私達の存在のなかでは、いわば感情体に当たります。

 

 

私達の素の光は、無垢なまま、一度も汚れたことがないのです。

 

私達な本日は、今も神様のまま。優しいまま、綺麗なまま、あふれる愛のままなのです。

 

 

ただ、私達が肉体に宿ると、心が傷ついたり、憎んだり、復讐したくなったり、意地悪したり、愛ではない心を奏でることがあって、今も光である私達であるはずなのに、そうではない自分の感覚がありますね。それは、本質の自分の光ではなく、それを包んでいるカバーが汚れているからなのですね。

 

 

 

私達が怒ったり、文句いったり、怠惰の波動を心が奏でると、このガラスケースが汚れるのです。ケースに色(癖)がつきます。

 

 

 

それが、私達の「性格」です。

 

激しい性格、落ち込みやすい性格、面倒くさがりやの性格、なんでもいわないと気がすまない性格、甘えん坊な性格、など、このそれぞれにある私達の各々の性格は、

 

 

 

本当の自分ではないのです。

 

 

 

過去世でくりかえし使ってきた、慣れ親しんだ心の使い方を、今世に持ち越してきているだけなんです。

 

 

 

 

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例えば、過去世で、戦争を体験したり、言論の自由のない次代に生きて、自分の意見を言ったらひどいめにあうと、ビクビクしてる前世があるとします。そうすると前世で、何度も心をおびえさせ、緊張していますから、くりかえしそのように心を使ってきています。それが癖になると、自動的に「意見はいわないようにする」というように、心が動きます。これが、私達の「性格」をつくりあげます。

 

 

 

そうやって、くりかえし使って慣れている心の使い方を、現在にくりこして、今の自分になっていますから、そうすると本人も忘れていますが、性格がひっこみじあんになったり、自分の考えを披露することに、強烈な恐れを感じますから、「いえない」性格になります。

ガラスケースに、自分を出せないという「色」がついたのですね。

 

 

 

また、過去世で権力があり、その権力により自己表現することに慣れていると、生まれかわって今の自分になって、もう権力はなくても、まだプライドが過去世から持ち越していると、まわりが自分のいうことを聞いてくれたり、やってくれるのが当たり前だと思ってしまい、そういう我が儘な自分の性格になります。まだ、お掃除してない自分の感情。

 

 

自分が生きる為に、人を変えたくなるという、「色」が、ガラスケースについたのですね。

 

 

 

こうして、内なるガラスケースに感情の色がつくと、いかがでしょう。

 

 

 

中の光は、真っ白な光でも、ガラスカバーに赤い色がついていれば、赤い光になって出てくるし、ガラスが青い色なら、青い光になってでてきます。

 

 

 

それが、今の私達のいわば性格です。

 

 

 

私達は、本当の自分とは、この「性格」を自分だと思ってしまうのです。

 

 

これは、本当の自分ではなくて、過去世で一番くりかえし使ってきた慣れている心をくりかえしているだけで、学び終えていない心の続きなのです。

 

 

 

ここを間違うと、私達は「自分を、愛する」と称して、逆に運命を閉じてしまいます。

 

 

 

「素」の自分を間違えてしまいます。

 

 

 

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オフィスのデスクはぴかーっと綺麗でも、おうちは実はぐちゃぐちゃ。これが「素」の自分なの。

 

 

 

ずっと我慢してたけど、はっきりいうわ、私は変だと感じるものを我慢できない性格だから、なんでもはっきりいうわね、これが「素」なの。

 

 

外ではきびきび仕事するけど、「素」の自分は、だらーとテレビ見てるのが好き。らくな自分がいい、これが「素」なの。

 

 

 

外では、ファッショナブルでも、家ではメガネにジャージ(笑)あれがあの人の「素」なのね。

 

 

 

 

私達はこういうのを、「素」と表現しがちですよね。

 

 

 

でも、これらはみな、「素」ではありません。

 

 

 

ガラスケースについた色です。

 

 

 

この「色」の自分を愛し、大切にすることは、過去やり残したカルマを再現することですから、もう姫じゃないのに、姫になってしまったり、もう自由に表現していいのに、表現できなくなる。自分のカルマの方にエネルギーを、まわしてしまいます。

 

 

本当の自分から、自分の行為がどんどん遠ざかるので、現実には不調和がでます。まわりが怒ったり、迷惑かけたり、困らせたりして不調和がでます。

 

 

 

では、本当の自分って なんでしょう?

 

 

 

「素」の自分とは、なんでしょう。

 

 

 

 

SG011_L 光

 

 

 

 

 

そう、「素」の自分とは、例えば

それは、あなたの「良心」です。

 

 

損得なく、優しく思うあなたの心。

 

 

 

 

例えば、お金を一円ももらえなくても、優しくできると幸せな気持ちになるあなたの心。

 

 

 

よいことをするとそれだけで、とても嬉しくなれる 澄んだあなたの心。

 

 

誰も見ていなくても、間違えたことをすると、ちゃんと痛んでくれて

教えてくれるあなたの「良心」

 

 

 

それが、「素」のあなたです。

 

 

 

神様から生まれてきたままの、気持ちのいい あなたなのです。

 

 

今も灯る、あなたの中の神様の優しい光なのです。

 

 

 

では、明日は、運命を拓いてゆく自分の愛し方をお話しますね。

 

 

 

どうぞ、お楽しみに~。