心配の本当の意味

pp20_f21 あき

 

 

 

「そこに光を・・。」~心を配るということ

 

 

 

 

 

「恐怖心」「怖れ」というのは、私達の中で、一番人生を止めてしまうエネルギーですね。

 

 

 

 

しかし、恐怖心とは、真実をまだ学びきれていない「無知」という心の暗闇から生まれます。

 

 

 

 

私達の「怖れ」は、私達の「光」の領域から生まれている心ではなく、「光」を覆っている心から、生まれている心さんなのです。

 

 

 

 

「ああ、怖い。不安だ。」という心は陰り。

 

 

 

 

つまり、そこに光が届いていないのです。

 

 

 

 

だからそこに、真理というあたたかい神の光を、心をこめて灯しましょう。

 

 

 

『心配する』とは、疑心暗鬼になり、まだ何も起こる前から自分のいのちの小ささや動揺を覚えさせるものでは、本当はないのです。

 

 

 

 

 

心配とは、本来『心を配ること』なんです。

 

 

 

 

人生のある領域に、今少し光が足りないから、そこにもっと心をこめて、もっとエネルギーを注ぎ入れて心を配ってあげましょうということなんですね。

 

 

 

 

 

不安に感じることがあるなら、それはあなたの心の中でちょうどその問題に関わる部分の心が、光を消して冷たくなっているのです。

 

 

 

 

子供が心配なら、もっともっと心を子供に配って、愛してあげる。

 

 

 

 

ご主人様が心配なら、もっともっと愛してあげて、あたたかくしてエネルギーをまわしてあげる。

 

 

 

 

 

心配になる、心配するのは、今、あなたが心を配る場所が、そこなんですよと、示されているのです。

 

そこに光が必要だから、あっためてあげてくださいねと、示されているのです。

 

 

 

 

心配があるなら、まずはその領域、その対象を、『あたたかく心で想うこと』

 

 

 

 

相手を想う・・。

 

 

あたたかく想う。

 

もっともっとあたたかく想って、そこに愛のエネルギーを巡らせてあげること。

 

 

 

いつも、「大丈夫かな、がんばってね。」と心をかけてあげること。すてきなことにつながりますようにと、祈りながら、あたたかく思ってゆきます。

 

 

 

 

 

そして、その場所に今、できること、しなければならないことに、集中して、心をこめてゆきましょう。

 

 

 

 

心配ならば、動揺して、心を止めるのではなく、心配だから、心をたくさん配って、その場所をあったかくしてゆくのです。

 

 

 

 

心を配って、気をまわす。

 

 

 

それは、人生好転の幸せの道なのです。