春を待つ言葉
例えば、
相手を思って伝えた言葉や、
よかれと思って届けた言葉が、
なんの役にもたたず、
流されて、
なんの力にもなれなかったと
感じる事があります。
もちろん、
相手が求めていなかったり、
押し付けであってはならないけれど、
もし、
その言葉の中に愛があり、
神様の優しさが入っていたなら、
その言葉は、相手の奥の心に
そっと着地するのです。
その時の心のコンディションによっては、
怒られる事もあるかもしれませんし、
その一言を、バカにされる事もあるかもしれません。
今は言わないで!と、ピシャリと扉を閉められるような。
拒絶も、無視もあるかもしれません。
けれど、
もしそこに愛があり、
神の光があたたかく灯っているなら、
その言葉は、
相手の心の中で、静かに時を待つ光の種になる事があります。
内側で、芽吹くタイミングを、希望を消さずに 待ち続けるのです。
光の言葉は、種となり、
着地した心の人の力を、信じて待ってくれるのです。
吹雪をすぎ、
凍てつく大地が、
やがてあたたかくゆるんで、
時が満ちると、
その人が必要とするタイミングに、
そっと、その言葉が
いのちを 勇気づけるように、
着地した心の持ち主の内で、
優しく立ち上がる時が あります。
光や愛を宿す言葉は、
私達の心の中で、春を待つ。
その時、
理解されなかった言葉。
誤解された言葉。
届かなかったと、あなたの心に涙をにじませた言葉が・・。
時満ちて、
かなりの時間が過ぎた後に
突然、誰かの心で立ち上がり
美しい花を咲かせる時があります。
だから、いつも、
心のこもったあたたかい言葉を、放つ人でありたいですね。
心に残るあたたかい言葉を、向ける人でありたいですね。
美しい真理があふれる、光の言葉を
心から心に、わかちあう
優しいいのちの言葉を、贈りましょう。
春を待つ言葉が、
誰かを心の内側から、支えてくれますようにと、
祈りをこめて。