聖母を思う安らぎ
ぬくもりを通わせなさい
聖母のそばに寄り添いましょう。
心を寄り添わせましょう。
聖母の波動、それは優しさ。
それは、あたたかさ。
深く清らかな愛のエネルギーです。
例えばあなたが、優しくない自分を見て、自分はダメだと泣いていても、
「優しくなりたい」と願ってごらんなさい。
できていないあなたでも いのちの母はかまわないのです。
そのままでそのままで、あなたは愛され続けてゆきます。
いつまでも、泣き続けない為に
そのままで、そのままで
あなたは愛され続けていきます。
できなくてもいい。
ただ、「優しくありたい。」
「愛に近づく自分でいたい」と、
あなたの心で 望んでごらんなさい。
その時、いのちの中には、なんともいえない温かみが流れてくることに、あなたは気づくでしょう。
そのあなたのいのちに通ってくる、あたたかいものを「祝福」といいます。
その祝福、その霊力が優しく流れれば、あなたは花ひらくように優しくなっていきます。
祝福とは聖母の慈しみ光線です。
あなたの意志が、「そうしたい」「そうありたい」と、一つの意志を心で決めることで、波動をチョイスすると、
いのちの世界は間違いなくそれに応え、あなたの内側から祝福の光を届けてくれます。
祝福とは、「おめでとう」という喜びだけでなく、それは生きた光の生命力そのものでもあります。
例えば、お花の蕾が花開く時の力は、どこからくるのでしょう。
目に見えないいのちの世界から、花の中に通ってくるのです。
見えない生命力(ひかり)が、蕾に溢れて、花はスーッと自然に花開いてゆきます。
例えば、そんなふうに、いのちを咲かせる愛の力を、「祝福」といいます。
いのちの世界の母の愛からもたらされてくる光の霊力です。
光が通いだすと
いのちは自然に花開くのです。
この優しさが通いだすと、
悩みはスーッとほどけて、「成長」へと花ひらきます。
暗さはスーッとほどけて、「明るさ」へと、
苦しみはスーッとほどけて、「幸福」へと、いのちはあたたかく、光によって花開くのです。
あなたの元にも祝福は通ってきますよ。
この「祝福」の力は、いつでもあなたの元にも本当は降り注いでいます 。
あなたが、「愛でありたい」と、望み続ける時、
あなたのいのちには常に、「聖母の優しさ」に寄り添い、その恩恵をいのちの中に受け入れる事になります。
優しさ、あたたかさ、感動が自然にこみあげ、涙あふれる事もあるでしょう。
胸にあたたかい感動 、いのちはその感動に浸ると、気がつくのです。
自分は、昔も今も
そして、いい時も悪い時も、いつの時も たぐいまれなぬくもりに、あたたかく包まれ、応援されていた事を。
その優しさが、自分にもあたたかく届いて、祝福されていた事を。
その優しさを、内側から悟るのです。
人から教えられた事は確認にしかすぎません。
あなたの内側からわきあがるその実感こそ、本当の「目覚め」なのです。
ぬくもりを通わせなさい
だから、悩んだ時、苦しい時、きつい時は、気がついてあげることです。
「天の祝福を望むこと」
苦しいときは、きっと「心のあたたかさ」が消えているはずです。
源である光と、あなたの心が離れているのです。
だから、光が通ってこられないのです。
だからもし、あなたの心にあたたかさが回復したなら、聖なる母性(ご縁)との糸が再び結ばれて、
そのぬくもりを糸として、光の祝福があなたの中を流れ、あなたのいのちを潤してゆくでしょう。
光が通うから、
自然にすべてが整い始める。
自然にすべてがよくなり始める。
すべてが愛に向かい、幸福に向かい始めるのです。
例えば、絶体絶命の窮地にいても、たった一つのあたたかい意志から生じる響きによって、運命は光に向かい、逆転し始めるのです。
ただ、「優しくなりたい」と聖母のやすらぎを思う。それは光とよりそうこと。
ほら、流れてきますよ。