苦しみが消える時

 

 

 

くりかえしたその心の次元は やがて終わる時がきます

その次は平和とやすらぎの世界です

 

 

 

 

今日まで、

当たり前のように、地球の制限を学んで生きてきた私達の心は、

「正しいこと」

「正解なこと」

そして、完璧であろうとします。

 

 

だけど、そうできない事も多いから、私達の心にはどうしても「こうしなければならない」と、制限ができていきます。

 

 

 

そういう制限の心さんには、

完璧だけがマルで、完璧じゃない自分はダメだとバツをつけてしまいますね。

 

 

 

この生き方だと心は縛られてしまうから、内なる力は自由に成長する事ができなくなってしまうでしょう。

 

 

 

誰でも人生では転んでしまう事があります。

 

 

間違える事があります。

そうすると、無意識に心は、すぐに自分にバツをつけ、落ち込み始めたりしませんか?

 

 

 

私はこのような事が、本当によくありました。

 

落ち込むのは、自分をダメだと、間違えたとダメ出ししているから。

これがゴールだと思っているから。

絶望するのは、次がないと思っているからなんです。

 

 

けれど聖母意識は、いつも優しい生き方を教えてくれました。

 

 

私達のいのちの力の、

美しさを教えてくれました。

 

 

 

私達に大切な事は、

人生で一度も転ばない事ではなく

その転んだ時の立ち上がり方こそ大切なのだと。

どう立ち上がるかの選択こそが、大切で、

その時にこそ、霊性の美しさが溢れだすのだと、聖母は教えてくれたのです。

 

 

だから、これまでいろんな経験がある度に、私は何度転んでも、

自分にそっと寄り添って、

成長できる心を選びたいと思いました。

転ぶ度に、自分に言ってあげたのです。

 

 

「ここは通過点、だから大丈夫。」と。

 

 

甘やかしとは少し違うけれど、

自分にダメ出しして、

叩いて登るのではなくて、

この経験から学んで、気づいていこうとすれば、心は一歩ずつ美しくなれます。

優しくなれます。

本物の心にふれられます。

 

 

だから、転んだら

転んだ事にこだらないで、

せめないで、

転んだ低い位置から 見える景色の中で、美しいものを見いだせる心を持ちましょう、と。

 

 

だから、転んだ経験も、失敗も、

愛が深まる材料を掴んでいる最中なんだと、希望を灯しました。

 

 

 

転ばなければ見つけらない魂の輝きが、

転んだ経験にはあるのです。

 

 

 

それに気づいたら、心は優しくゆるんでいきました。

心の内側のエネルギーは自由になっていきました。

 

 

 

私は自分と仲直りし続けてきたのです。

 

 

転んだ時

思うように結果が出ない時・・。

 

 

 

自分をせめて、自分を叩いて登るのではなくて、

 

 

 

自分と共に寄り添って、その経験を味わい、愛してあげる。

 

 

情けなさも、

自分と一緒に味わいつくし、

共に泣く。

 

 

 

落ち込んだなら、その心を責めたりしないで、その心の自分とよりそい、共に気がすむまでしゃがんであげる。

 

そういう意識で包んであげました。

 

そうすると、ハートは人生で大切な、思いやりという「核」を覚えて優しくなってゆけます。

 

 

落ちこんたら、

自分をごまかしたり、抑圧しないで、世界を閉じずに、

 

 

 

こののちハートをさらに大きく開く為に

自分に寄り添い、

一緒に気がすむまで落ち込んであげるのです。

 

 

落ち込み自分にOKを出してあげるのです。

 

 

 

そうしたら、落ち込みには

「底」がある事を知りました。

 

ああ、今までは落ち込みをダメだと思って抵抗したり、自分を無意識に叩きながら落ち込んでいたから、

 

 

その自分批判を向け続けていたから、落ち込みが長かったんだなと、今ならわかります。

 

 

その落ち込みが終わらないから、永遠に続くように思えてしまいます。

 

 

 

それはきっと何度も、自分を批判するエネルギーが心の中に生成されているから、心が立ち直れないだけだったんだと、気づきました。

 

 

 

落ち込みにバツをつけ、

ゆるさずに頑張ると、優しさが消えてしまいますね。

 

絞りださなくてはならなくなります。

 

 

 

でも、自分をせめず

共によりそい、落ち込んで落ち込んで落ち込んでいくと、

 

 

 

沈んだら、浮く力が魂にはある事が見えてくるのですね。

 

 

沈むには、

沈んだ時にしかみえない景色があって、

沈んだ時にしか見つけられない「教え」があるのです。

 

 

それに気づく為の経験をしているだけなのですね。

 

 

 

だから、そこには「美しい気づき」が必ずあって、

 

 

それに気づけば、自然に心は立ちなおり、優しくなっていきます。

 

 

それに気づいて、

何度も何度も、落ち込みを通過して、気づいて、心をあたたかくしてゆく と・・。

 

 

 

以前は、落ち込みというものに暗いイメージがあったのが、

逆に「落ち込み」とは、次へ一番ジャンプできるエネルギーの切り替え期なんだと見えるようになったのです。

 

 

 

そうしたら、あれだけ落ち込むのが得意だった私が

 

 

一度落ち込んだら、一週間は立ち直れなかったかつての私が、少しずつやすらいで、落ち込みという空間は、私の中から消えていったのです。

 

 

 

今、私の日常には「落ち込み」という経験がほとんどなくなってしまいました。

 

 

 

たまにやってきても、すぐ消えてしまう。

例え 落ち込みにひっかかっても、長い時には30分か1時間くらいで、すっと波動を変えられます。

 

 

しかし たいてい、落ち込んだ心に気づいても、その瞬間消えてしまいます。

 

 

 

何故なら、くりかえした事で「気づく」のが上手になれたからです。

 

 

 

もしかしたら、人生に落ち込みは一生当たり前にあるものではないのかもしれません。

 

 

気づき終えたら

自然にその世界を体験しなくなるのです。

 

 

 

進化した惑星には、

落ち込みという経験はないでしょう。

 

 

 

私達の心の平和な次元から、

惑星の平和は広がってゆく。

 

 

 

 

だから、今日もいのちには優しくあたたかく、励ますように向かってあげましょうね。