音のお仕度(5)
日常に生かしてこそ、意味があるやさしい世界
あらゆるものに、「音(ひびき)」がある・・。
木にも、花にも、石にも、土にも・・。
私はチャネルという特質上、
レンズに太陽の光を集めるように
心に焦点を定めると、
そのものの エネルギーの「音(ひびき)」(声)がわかります。
チャネラーというものは、
エネルギーの翻訳者ですから、
そのもの固有の存在の「音」が 「声」となり、エネルギーを持っている事を知っています。
そこにある ひびき「いのちの音」は、声となり、伝わるものがあるのです。
だから、樹木などが奏でるいのちの音は、メッセージそのもので、素晴らしいエネルギーそのものなのですね。
けれど、こんなスピリチュアリティは、多くの場合、そのメッセージを聞くのみで終わってしまう事も多いでしょう。
それが、チャネルだと私たちは、思ってしまうのです。
だから、ついつい私たちは、
不思議な世界を垣間見るだけで どうしても 終わりがちで、メッセージを活かしきれないで 終わりやすいです。
例えば 私のようなメッセンジャーは、「 この樹木さんは、こんなメッセージを持っています。」と
紹介するだけで終わりやすいですね。
でも宇宙の聖なる母性は、
それは、役割としての聖母のチャネルの一部の役割であり、全貌ではないとよく言われました。
伝えることと、伝わることは違う、
それは 繰り返し繰り返し、お話されました。
そこに溢れるメッセージを、伝えることは もちろん素晴らしいことで、大切ですよ、と。
けれど、もっと大切なのは、
そこにあるメッセージを生きること だと。
聖母はそう言いました。
受信したメッセージを、生きてみること。(実践してみること)
そのメッセージを生きてみて、やってみて、行動してこそ、
存在から「音」が出る。
頭ではなくて、
いのちが、それを知るからこそ
心から波がでて、メッセージは自分に備わり、知識が 知恵になります。
食べ物が、最初は食べ物と自分と離れていたのに、消化されると吸収され、
食べたものが栄養となり、自分自身となるように、
そのメッセージが、その真理が
そのまま自分に なっていくのです。
メッセージの送り手がいて、
その伝えたい思いが、本当に伝わったというのは、
受信した人、メッセージを聞いた人の生き方が 変わることなのです。
それがあってはじめて、
メッセージは、伝わった 受信されたと、新しい力となって、わきあがるのです。
スピリチュアリティとメッセージとの出会いは、
私たちの当たり前の暮らしに、翻訳されてこそ、
本当の意味をなすのです。
当たり前の暮らしに、特別なものとして訪れるのではなくて、
それが新しい力と当たり前になる事こそが、スピリチュアルなのです。