楽園からの手紙~2018(2)意味のある現象

 

 

 

おちついて、「心」で現実を受けとめる時、そこにはメッセージがあります

 

 

 

 

起こる事にはすべて意味があります。

起こる日常の現実にはすべて、心開けばメッセージがあるのです。

 

 

 

 

特に、「旅」という経験には、行くと決めた時からすでにエネルギーが動き出しているものです。

 

 

そして、その旅を通して、届いてくる天の声は、常に「起こること」の中に、静かに流れているものです。

 

 

 

例えば、このハワイの旅ではとても顕著にそれは現れていました。

 

 

ハワイ行きの手続きが終わり、あとは出発日を待つだけとなっていた頃、

 

 

 

もともと忙しかった私の日々の、その忙しさに拍車がかかり、なんと!ぐるぐる激しく回転する 洗濯機の中に放り込まれたようになりました。

 

 

ハワイだけでなく、他にも数件の出張が続いていましたし、また出版を控えていた事もあり、その最終チェックのやりとりや、他にも原稿の締め切りやその他アポイントメントが重なっていて、

またちょうど、イベントも集中していたので、

 

 

 

それはもう、信じられない忙しさになりました。

 

 

いつもは、忙しくても、まずゆとりを一番にもってきて、時間のゆとりと、心のゆとり込みでスケジュールを組んでもらうのですが、

 

 

不思議にこの時ばかりは、それが通用しませんでした。

 

 

 

実質、新刊のリリースが秒読みになってきていた事と、それに連動したオファーを頂いていたので、細かな仕事と、確認やチェック事項が増えて、また新たな執筆が必要となったり、もちろんそれらには、締め切りがありますから、ご迷惑をおかけしないように動くと、今までの私の生活にはあまりないめずらしい状況が起きていました。

 

 

 

ゆっくりしている時間がなくて、私の余暇の時間に必ず何か仕事が入るという・・。

 

 

 

だから、走りながら、移動中にできる仕事して、

走りながら、移動中に心を見つめたり、

次に移動しながら、また原稿をかいて、

次に走りながら、次の仕事の準備をして・・のくりかえし。

 

 

ともかく、走ることになるし、やらなければならない事が次々訪れて、執筆には、夜中じゃないと時間がとれないので、眠れない(笑)

 

 

少しの仮眠をして、次のお仕事へ。次の移動へ、と、動かざるをえない状況がくりかえされました。

 

 

途中、マネージャーがなんとか ゆとりの軌道修正を入れようとしてくれましたが、どうしてもどれも必要だったので、ねじこむようにスケジュールとスケジュールの合間にやるしかない事だらけ。

 

 

でも、心のあるあたたかい仕事がしたいので、

その時、その瞬間に、集中しておさめます。

 

二度めのハワイ直前は、そんなスケジュールが続いていました。

(今はゆとりが戻っていて、ぐっすり眠っていますよ(笑))

 

 

そんな状況でしたので、私の人生初ですが、直前まで別な出張で、帰ってきて、すぐハワイ。

 

 

 

なんと海外に行くというのに、前日までトランクに何も入っていないという状態(笑)準備が何もできていない・・。

 

 

 

いつも海外前はワクワクして、ずいぶん前から入念に準備していましたから(笑)

 

これは、私の人生にはあまりない状況でした。

 

 

出発の前の日に、旅行に必要な細々したものを買いにいって、

 

 

 

準備が終わって、トランクの鍵をしめたのが、なんと、お迎えのお車がくる30分前!

 

 

 

そして、すぐ、走る(笑)

 

 

 

マネージャーも同じ感じだったとの事。マネージャーはさらに次の仕事の調整に現実的なやりとりをあれこれしていたので、さらに強烈な洗濯機だったのではないでしょうか。

 

 

 

「こんな事はじめてね。」と呟きあいながら、機内の人になってから、ようやく一息つけました。

 

 

 

すごくすごく、不思議な忙しさ。

 

 

 

何故なら、一番大切なものを一番最初にもってきていて、そうするとエネルギーが、いつもなら調整されるはずの流れが、その時ばかりは収まらずに、さらに輪をかけて忙しさに拍車がかかるという日々でしたから。

 

 

機内で、ようやくほっとして、一息ついた時に、

 

 

 

はっとしました。

 

 

 

旅の前後に起こる事は、すべて意味があって、その経験自体に「宇宙からのメッセージ」が流れているのです。

 

 

 

もしや、この尋常ではない忙しさは、メッセージなのでは?

楽園からの手紙では??

 

 

 

そう、そこにやっぱり意味があったのです。