一番初めの純粋な愛(3)
自分を愛する愛のエネルギーは、頑張るものではなくて、自然にわきあがるもの
誰もが、自分でもびっくりするくらいの、優しいこころを持っています。
気づいていないことや、使わないでいて、埋もれていることはあっても、消えることのないあなたの中の優しい神の光。
それは、あなたの中の「良心」という、神の光です。
あなたの「良心」に気がついて、それが表にでるように、大切にしてあげると、あるエネルギーが出てくるのです。
それは、魂の清々しさ、爽快感です。澄んだ気持ちのいいエネルギーがあなたの中に湧いてきます。
その清々しいエネルギーが、心にいつも流れるように心がけると、私達は頑張らなくても、自然に自分を認め愛せるようになります。
まずは、誰も見ていないところでも、自分の「良心」(神性)に、恥ずかしくない生き方をすることが、大事です。
自分が自分のことを見て、この人と親友になりたいと思うかどうか、この人なら信頼できると思うかどうか、そういうエネルギーにまず気づいてみるといいですね。
この人と親友になりたいと思わないなら、それはなぜなのでしょうか。そこを変え、そこを育てることもひとつ。
誰も見ていない所でも、自分だけは見ているのですから、自らの「良心」に恥ずかしくないふるまい、選択をしてあげることです。
その上で、今よりも向上できるように、今よりもさらに成長するように、あたたかい心をだしてみます。
人の役にたつこと、人の為になること、人が喜ぶことを、あたたかい良心に沿ってやってみましょう。
この時、あなたは、自らの「良心」と納得できるよう集中して向き合い、結果は天に委ね、すてきだと思えることしてゆきます。
つまり、あなたのあたたかい「良心」に従って、誰かが喜んでくれること、誰かの役にたつことをさせて頂いてみるのです。
その時、コツは見返りを求めないことです。
認められなくても、自分でやりたいこと。感謝されなくても、心をこめたくなること、そこに集中するのです。
求めずに、一心に真心をそこに注ぎます。
相手に認められたいから、評価されたいから、やるのではなくて・・。
これだけやってあげたのだから、私にもこうやってねと、ひそかに期待しながらやるのでもなくて、それらをすべて手放して、自分の「真心」に集中します。
すると、感謝されなくても、できたことが、うれしい。感謝されなくても、清々しい自分を、発見し、あなたは気持ちのよい清々しさを体感します。
その爽快感が流れれば、あなたは自分を愛そうとしなくても、自然にそうなっているでしょう。
そして、その真心が届いて、誰かからあたたかい感謝をもし求めずとも頂けたとしたら、嬉しいですね。。
その時は、その喜びをうんと味わいましょうね。
見返りを手放して、人の為に自分が役立てたと感じ、自分の真心が誰かをあたためていたと感じるとき、私達には、なんともいえない充実感と共に、生きる喜びがわきあがることでしょう。
そう、その清々しい感覚が「本当の自分」です。
その時あふれてくある気持ちいい自分こそが、「素」の自分なのです。
「素」の自分を大事にしましょう。「素」の自分で生きましょうね。
気持ちいい充実感があれば、私達は言葉をこえて、自分を優しく認めることができます。
自分の心が、自分の選択が澄みきって気持ちいいと感じられる程、嬉しいことはないですね。
今日も、どうぞしあわせな1日を・・。