一番初めの純粋な愛(3)

sg161_l ひかり

 

 

 

 

自分を愛する愛のエネルギーは、頑張るものではなくて、自然にわきあがるもの

 

 

 

誰もが、自分でもびっくりするくらいの、優しいこころを持っています。

 

 

気づいていないことや、使わないでいて、埋もれていることはあっても、消えることのないあなたの中の優しい神の光。

 

 

 

それは、あなたの中の「良心」という、神の光です。

 

 

 

あなたの「良心」に気がついて、それが表にでるように、大切にしてあげると、あるエネルギーが出てくるのです。

 

 

それは、魂の清々しさ、爽快感です。澄んだ気持ちのいいエネルギーがあなたの中に湧いてきます。

 

 

 

その清々しいエネルギーが、心にいつも流れるように心がけると、私達は頑張らなくても、自然に自分を認め愛せるようになります。

 

 

 

まずは、誰も見ていないところでも、自分の「良心」(神性)に、恥ずかしくない生き方をすることが、大事です。

 

 

自分が自分のことを見て、この人と親友になりたいと思うかどうか、この人なら信頼できると思うかどうか、そういうエネルギーにまず気づいてみるといいですね。

 

 

この人と親友になりたいと思わないなら、それはなぜなのでしょうか。そこを変え、そこを育てることもひとつ。

 

 

 

誰も見ていない所でも、自分だけは見ているのですから、自らの「良心」に恥ずかしくないふるまい、選択をしてあげることです。

 

 

 

その上で、今よりも向上できるように、今よりもさらに成長するように、あたたかい心をだしてみます。

 

 

人の役にたつこと、人の為になること、人が喜ぶことを、あたたかい良心に沿ってやってみましょう。

 

 

この時、あなたは、自らの「良心」と納得できるよう集中して向き合い、結果は天に委ね、すてきだと思えることしてゆきます。

 

 

つまり、あなたのあたたかい「良心」に従って、誰かが喜んでくれること、誰かの役にたつことをさせて頂いてみるのです。

 

 

その時、コツは見返りを求めないことです。

 

認められなくても、自分でやりたいこと。感謝されなくても、心をこめたくなること、そこに集中するのです。

 

求めずに、一心に真心をそこに注ぎます。

 

 

相手に認められたいから、評価されたいから、やるのではなくて・・。

 

 

これだけやってあげたのだから、私にもこうやってねと、ひそかに期待しながらやるのでもなくて、それらをすべて手放して、自分の「真心」に集中します。

 

 

すると、感謝されなくても、できたことが、うれしい。感謝されなくても、清々しい自分を、発見し、あなたは気持ちのよい清々しさを体感します。

 

 

その爽快感が流れれば、あなたは自分を愛そうとしなくても、自然にそうなっているでしょう。

 

 

 

そして、その真心が届いて、誰かからあたたかい感謝をもし求めずとも頂けたとしたら、嬉しいですね。。

 

 

その時は、その喜びをうんと味わいましょうね。

 

 

見返りを手放して、人の為に自分が役立てたと感じ、自分の真心が誰かをあたためていたと感じるとき、私達には、なんともいえない充実感と共に、生きる喜びがわきあがることでしょう。

 

 

そう、その清々しい感覚が「本当の自分」です。

 

 

その時あふれてくある気持ちいい自分こそが、「素」の自分なのです。

 

 

「素」の自分を大事にしましょう。「素」の自分で生きましょうね。

 

 

気持ちいい充実感があれば、私達は言葉をこえて、自分を優しく認めることができます。

 

 

自分の心が、自分の選択が澄みきって気持ちいいと感じられる程、嬉しいことはないですね。

 

 

今日も、どうぞしあわせな1日を・・。