進化する角度
前に進む気持ちよさ、いのちは進化成長を望むもの。でもそれに疲れた時には、どうぞ やさしい一呼吸を。
いのちには、「進化成長」という美しいお仕事があります。
進化成長とは、あなたが今いる場所に、より光が増えてゆくこと。
より、やさしさが
あたたかい愛が、
人生に増えてゆく事です。
進化とは、できない事ができるようになること。
昨日まで感じられなかった幸せが、感じられるようになること。
それは、人生の苦しみがひとつひとつ終わること。
新しい幸せな世界が増えてゆくこと。
でも、その幸せが進化として目の前に展開するには、必ず私達は人生の関門を、通ります。
つまり、わかりやすく申し上げるなら、とてもつらいこと、とてもきついこと、たじろぐこと、自分には荷が思いと感じられることなどに、突き当たるのです。
苦しみは、光への関門です。
苦しみとは、敵ではなくて
あなたが拡大し、まだ見ぬ意識の領域にきていますよという事で、
まだ一度も踏み入れていない意識領域に、足を踏み入れましたよということです。
ですから、苦しいなら、きつくて仕方がない場所を通過中なら、
それは、その先が、これまで悩む前にあなたが体験していた幸福感よりもさらに素晴らしい世界が拓けるという事です。
きつくて仕方がないなら、
あなたは今、進化の途中にいます。
夜明け前の一番暗い時です。
つまり、つらくてつらくてもう仕方がないという時ほど、あなたの夜明けは近いはずです。
でも、それでも
わかっていても、きついことがあるものです。
もし、あなたが今
「自分をみる」「自分を変える」「エゴをとる」「誰かを許す、包む」「愛し続ける」「信じて実践する」等、
魂を探求し、愛を行じる進化の道を歩む事に息切れを感じていて、
癇癪を起こしそうになっていたり、神様や宇宙意識に腹がたっていたり、もう投げ出しそうになっているなら・・。
「愛や優しさの道が、何をしてくれるっていうの?何にもならないじゃない」と手放したくなっているなら。
自分に向かうことをあきらめそうになっていたなら。
まずは、心身ともに立ち止まり、そっと座りましょう。
まずは、休むのです。
それは、歩みかたに余分な力が入りすぎて、頑張りすぎ、疲れてしまったんですね。
魂の成長とか、愛することとか、今の問題を真理に照らし合わせるとか、自分が登れない原因追求するとかの内なる作業を、いったん全部手放して、
ゆったり、ほっこりしてみましょう。
なぜなら、光の方向に歩むことは本来あなたを幸せにするものなのに、
それに腹がたち、自分を追い込むようになり、「やるべき!」「やらなくちゃならない」と、なってしまい嫌な気持ちになるなら、いったん手放した方がいいでしょう。
なぜなら、あなたが進化に向き合う角度が、今違ってしまっているからです。
エネルギーは、正直であり
エネルギー(感覚)は源へと向かうナビゲーションです。
つまり、自分が光に向かう在り方が本来の自然さならば、苦しみに直面した時は、たじろぐし苦しいけれど、
前に進む度に、らくになり、嬉しくなり、現実がよくなってゆきます。
だから、もっと嬉しくなり、自分が前進できることが気持ちいいと感じる、爽快感が出るでしょう。
その心地よさ、爽快感は、魂の向かう方向が合ってますよというサインなんです。
しかし、魂が向かう角度が違うと
苦しい、きつい、こすれるみたいな摩擦の痛みや不快感が出てきます。
だから、前に進むことが難しく、「進化」とは、いわゆる苦行のように、厳しく重く 心に感じるのです。
角度がちがうとは、どういう事でしょうね?
それは、進化しようとしてなされる【選択】や【努力】が、どこに向いているかの違いなのです。
【なんの為にそれをしているか】です。
進化するのが、苦しくなるのは、実は、エネルギーが【自分】に向かっていないのです。
おそらく、多くは「誰かの目」を気にしています。
「誰かに言われないように~」と、誰かの目を気にしてビクビクしているか、
誰かから評価されたくて、認められたくて、やっているか
こうなりたくないから、怖いから、魂を進化させておこうと望む、怖れからのスタートか。
「進化する」「前進する」という言葉にコーティングされていますが、それらが行動の根っ子にあると、これは、進化に向かっていないのです。
一見、行動は努力してるし、前向きな行動していても、動機が違うので波動が違い、向かう向きが違ってきてしまうのです。
だから、やってるのに苦しい。やってるのに、うまくいかない、という事がおきてしまいます。
進化とは、
『自分』に、向かうことなのです。
でも、知らず知らずの内に
私達は向かう場所の角度を間違えてしまいます。
自分の中の思い込みが消えて、よりやさしくなれるように、ではなく
やさしい人だと誰かに認められるように。
頑張ってるねと誰かに褒めてもらえるように、評価されるように、など、今のあなたの向かう先が、自分より、誰かに向いていて。外側のあなたと、内側の神性のあなた自身の間に『お人の目』『お人の評価』「恐れや期待」などがはさまっています。
だから、頑張っていても、結果がでなくて苦しい。
内なるコンパスがくるっていて、目的地に向かっておらず、くるくるまわって歩き続けているので、とても疲労してしまうのです。
進化とは、自分に向かうことですから、
自分に向かわず、他人の目にふりまわされると、私達はままならない現実に疲れきってゆきます。
だからこういう時は、立ち止まりましょう。一休みしましょう。
こういう時は、まず自分をせめないであげて、休憩して大丈夫なんだと知っていてくださいね。
このような時は、まずは魂の学びとか、気づきなどからいったん心を離します。(でも、今つきあたっている課題はメモしておきましょうね)
「こんなふうでなければならない」「こうするべき」という意識から、まずはいったん心を離します。
そして、ただただ、自分の好きなこと、気持ちいいことをしましょう。
魂の学びにつながらなくてもいいから、自分の趣味を楽しんだり、気のあうお友達とおしゃべりして笑いあったり、ゆっくりお風呂につかったり、おいしいものを食べてほっこりしましょう。
そうすれば、あなたの芯が安らいでゆき、余分な力がそうしているうちにぬけてゆくのです。
いったん難しいことを考えるのをやめて、「あ~これおいしい」「これ大好き」「もう寝ちゃおう」「ゆっくりしよう」と、自分の大好きなことをして、自分を解放するうちに、
自然に波動があがってゆきます。
波動があがると、ああ楽しい、気持ちいい、嬉しいをくりかえしている内に、自然にまた神様に近づきたくなってきます。
やっぱり愛のエネルギーが好き。やっぱり優しい生き方がしたい。もっともっと、輝きたい、人生を前に進めたいと、むしょうに軽くなりたくなります。むしょうに愛を学びたくなります。
自分を磨きたくなります。
自分が光を増す生き方に、わくわくして、ときめきが戻ってきます。
魂の生き方に情熱が戻るのです。
そこに向かうことが、楽しみで、幸せで、わくわくして、やさしくてあたたかい、なのに拡大と繁栄を続ける・・。その生き方に力があふれてきます。
その角度が、進化への過程です。
魂の登り方も、山登りと一緒です。
苦しくなったら、休憩できる幸福があり、
休憩したら、また新たな力が回復します。
ときめきと安らぎと幸福感こそ、
聖母の道。
聖母(あなた)に向かう、グレースロードなのです。