一番初めの純粋な愛 (1)
愛は外からではなく、内から外へと、水面に浮かぶ波紋のように広がります。
愛のエネルギーというあたたかなものが、自分の中に流れている、という真実に気づいたら、まずはその愛が始まる最初の種、一番初めの純粋な愛の光を見つけましょう。
すべての愛のベースとなる、最初の一滴、最初の純粋な光の種です。
愛が広がる、その中心となる最初のひとしずくは、「自分を愛する」という愛なんです。
でも、いかがでしょう。この「自分を愛する」という言葉は、なかなか解釈の難しいものだと思いませんか?
自由奔放に我が儘にふるまうことを「自分を愛すること」とはき違える人がいたり、自分本意にものを考えてしまい、例えば、人を傷つけてしまう言葉でも、私がそう思ったのだからと、なんでも言ってしまうことを「自分に素直」だと、間違えてしまう人もいらっしゃいます。
回りの方にご迷惑をかけ、困惑させても、「これはね、仕方ないの。だってこれがありのままの自分なのだから。」と、自分をまわりに押し付けてしまっては、まわりに我慢をさせてしまいます。
いのちは、深いところでつながっているので、私達が本当の自分につながっていれば、相手の真ん中と自然に調和するようにできているので、あなたが真実だと思うことを生きた時、もしまわりに不調和がでるのは、自分がずれている時です。
これは、自分を愛する事とは、実は逆になってしまいます。
魂が進むべく自然な流れに逆行している姿なのです。
本当の自分に「素直」になれたら、嬉しいですね。
「素直」
それは、素の自分にまっすぐに従うという愛です。素の自分、そのままの自分とは、なんでも好き放題してしまう「我(エゴ)」の自分ではなくて、【神様が最初に生んで下さったままの真っ白な自分】という意味なのですね。
素直になるとは、神様から生まれたままの美しい純粋(ピュア)な自分に従い、その綺麗で気持ちのいい自分の心に戻ってゆくことなのです。
素直とは、自分の我(エゴ)を現すことではなくて、その我(エゴ)のさらに奥に輝く、洗い立ての真っ白いシャツのような清々しい自分の心を現すことなのです。
それは、優しい自分です。愛が広がる自分なのです。
「迷惑かけても、仕方がないじゃない」という自分ではなくて、「嫌な思いをさせてごめんなさいね」といえる気持ちのいい自分。
その自分に気づくと、生きていることが気持ちいい。自分が自分らしくナチュラルでいられることが、すっきりしていて、とても気持ちいい。
純粋(ピュア)な自分に従うと、内面からは、澄んだ小川のせせらぎのような、気持ちよさが出てくるのです。
澄んだ充実感が、澄んだ清々しさ、澄みきった爽快感が出るのです。
我(エゴ)を自分だと誤解して、自分を愛してるわ、自分大好きと、暗示をかけてしまうと、本質をはずしたまま、まわりとこすれ続けます。
あなたが、自分を愛したつもりで、まわりから浮くのは、こんな時です。
まずは、清々しい気持ちいい自分を現すことなのです。
内面が澄んで気持ちがいいと、「自分をどうしたら愛せるんですか?」と悩む必要がなくなります。
自分が気持ちいいと、自然に自分が気持ちよくて、大好きになれるからです。