いのちとからだの声を聞く
安らぎというくすり
病には優しさという光の心を
病の時は、生命力を治癒に向けてゆく為に、大切なポイントがあります。
病は、症状の重さや症状がある場所、程度、いのちに関わる深さ、そしてその人の性格・傾向によって治癒の方法は変わってきます。
そして病になった人が「自分」なのか、「自分以外の誰かなのか」「スピリチュリティの理解度はどれくらいか」など、病になった方の状態によって大きく異なります。
病になり、それがあなたを恐れさせる程、大病だとしたら、いのちにかかわる症状ほど、大切なことがあります。
それは、病はサインであり、メッセージだということです。あなたのいのちからのお知らせです。
病は症状が大きなほど、今のあなたの生き方、考え方、心の使い方を変える時期がきましたよというお知らせなのです。
病になったお人から、よく聞く言葉があります。
「病と闘います。」という言葉。
病が重いほど、この言葉は前向きな言葉として語られます。
でも回復には、これでは逆効果なのです。
いのちと闘うのではなく、いのちと調和する優しさが必要です。
いのちが、健やかであるためには、あなたがあなた自身のいのちの声 に耳を傾け、やさしく生き方を変えてゆく必要があるのです。
いのちと、からだが調和していないことを病は告げています。
病はそれまでの不自然さを、からだというスクリーンに映しているのです。
始まりは、シンプルなほころびに気づくことです。
寒いとからだが感じたら。あたたかくしてあげる。
あついと感じたら、涼しくしてあげる。
疲れたと感じたら、休んであげる。
例えばこんなふうに、言葉にすると当たり前で、簡単なことと思えますが、意外と私たちは大事にできないものなのです。
からたが寒いと感じても、面倒だから我慢する。
疲れた、寝たいと感じていても、仕事が終わらないからそうもいっていられないと休まない。
からだがおなかいっぱい、苦しいといっているのに、もったいないからとふーふーいいながらも食べてしまう。
長年にわたって、本当は自分のいのちから届いていた「声」を、私たちは打ち消して自分のからだのサインより、自分の都合の方を優先させてしまうことが多いでしょう。
それは、だって仕方がないじゃないと、私たちは思いますが、いのちにとってそれは自然ではないのです。
そんなふうに、肉体を取り巻く環境の不自然さと共に、私たちの肉体の奏で方、つまりいつも怒っていたり、くよくよしていたり、気分屋だったり、ネガティブに考えたりしていると、その度に、心臓はドキドキしたり、自律神経が乱れて眠れなくなったり、胃が痛んだりして、私たちの「心の使い方」や「考え方」「性格」がいのちに不自然で、からだはその度に血圧が上がったり、疲労したりして、消耗します。
私たちのものの見方、考え方が、からだに負担をかけてしまいます。
だから、まずは軽い頭痛や、ふとでてくる口内炎や、湿疹や、風邪など、最初は軽い症状で、いのちは「声」をだしてきます。
でも、それでもいのちに振り向けないと、もうこのままでは限界とメッセージを出してくる大きな声が、病なのです。
病は、それまでの自分のいのちの声をきき、病になったら、それまでの自分の生き方・考え方を変える時なのです。
病も本当はありがたいものです。
病を頂いて、私たちは不自然な心を変えて頂けるんです。
だから、病と闘うのではなく、それまでの自分の生き方をふりかえり、あたたかく理解して、自分を苦しめていたあり方を変えてゆく、優しい向き合い方を大事にしましょう。
治癒力をひらくには、自分のからだと闘うのではなく、感謝すること。
あらわれた病と症状を、感謝で受けとめてあげる、そこにある自分の声に気づきましょう。
病になったら、大切なことは、闘うことではなく、自分との仲直りです。自分を苦しめる考え方や生き方を変える、そのあたたかい気づきとあたたかい変化こそ、治癒力を湧かせる光の妙薬なのです。