らくになる幸せ~自分を取り戻す瞬間(3)

 

 

 

心の美しさから始まる時代~優しい自分を思い出す時

 

 

 

アクエリアスの女神の時代には、「結果」より「数字」より先に

 

 

「心の美しさ」が先に出なければ泳げない時代です。

 

 

 

私たちがいつのまにか当たり前のように慣れてしまっている、

緊張を生じさせる重力のある人生の重荷とは、

このじゃんけんなどの楽しい遊びの中にさえも流れている「勝ち」「負け」の意識なのです。

 

 

勝った人が勝者、負けた人が敗者。

 

 

私たちは、地球の集合意識が醸し出す、この勝ち負けから生じる空気感を子供の頃から学んできました。

 

 

負けた人は「敗者」だと。

 

 

敗者だから、負けた人は劣っていて、負けた人は落伍者で、負けた人は格好悪いし、恥ずかしい。

 

 

また、時代の中では、真実よりも勝った方が正しい、負けた方がまちがっているとされやすい。

 

 

 

だから、親に、学校の先生に、「負けないように頑張りなさい」と言われ続けます。

 

 

 

負けることは、恥ずかしい事だと学んだのです。

 

 

 

だから、「勝つ」と自分は他の人と違うと優越感で奢りがでるし、

 

 

 

「負ける」と恥ずかしくて、自分はだめだと劣等感でいっぱいになる。

 

 

これは、真理でしょうか?

 

 

 

幸せは、この「勝ち」の方にあると思われていました。

 

 

勝負は、元はひとつであった私たちのエネルギーを分離させます。

 

 

 

しかし、愛は、私たちを再び結びつけ、ひとつにしてくれるあたたかい力で、関わるすべての人を幸せにしてくれるあたたかい力なのです。

 

 

 

アクエリアスの女神の時代の中では幸せは、このあたたかい「愛」の方向にあるのです。

 

 

 

この流れを見つける為、長い間、慣れ親しんできた意識を一時停止させる為に、アクエリアスじゃんけんでは、まずはお客様には、あえて「負けて」頂きました。

 

 

勝とう勝とうと、するのではなく

 

負けよう負けようとして頂きます(笑)

 

負けることは、敗者で、落伍者で、恥ずかしい事・・。

 

私たちはそう学んできたけど・・。

 

本当にそうでしょうか?

 

勝つ人は、負けて下さる方がいらっしゃるからこそ、勝てたのです。

 

 

パーとグーでは、グーが負け。

バーは勝者です。

 

 

でも、グーがその場からいなくなれば、パーは勝者ではなく、ただ、手をひらいてるだけの存在に戻りますよね。

 

 

 

パーは、グーがいて下さるからこそ、勝たせて頂いたのです。

 

 

つまり負けることの真実は、本当は無力感につながっていません。

 

 

 

それは、社会の中の大多数の意識から学んできた、集合意識の思い込みからの、恐れだったのです。

 

 

 

負けた人は、人生の落伍者ではなかったんです。

 

負けた人は、

 

一段下がって、勝つ方をふわりと持ち上げ、お支えしたのです。

 

 

 

勝つ人のエネルギーを負ける人のエネルギーが優しく持ち上げ支えています。だって負ける人がいなければ、勝った人も「勝ち」になれないのですから。

 

 

落伍者なんてとんでもありません。

 

 

その存在の優しさに持ち上げて頂き、勝つ人は勝たせて頂くのです。

 

 

それを最初に私がトークでお話いたしますと、皆様「なるほど~!」と目に光が戻るようになりました。

 

しかし・・。

 

 

いざ、じゃんけんが始まると、じゃんけんのルールは、皆さん当然知っています。

 

 

 

ぐーはパーに負け、パーはチョキに負け、チョキはグーで負けられると、

 

 

どうすれば、負けられるか

 

 

そこにいた全員が当たり前に知っているのです。

 

 

けれど・・。

 

 

最初、見事なまでに、めちゃくちゃです(笑)

 

 

知っているはずなのに、難しい。できない。

 

なぜかといいますと、

 

 

頭の働きが、「勝ち負け意識」に慣れすぎていて、負ける方に意識を向けられないのです。

 

 

 

意識が常に、負ける方ではなく、勝つ方へと向けていくことに慣れている為、

「じゃんけん」と声がかかると、頭が細胞が一斉に「勝ち」の向きに、黙っていてもいってしまいます。

 

 

「あ、またやっちゃった」と、勝とうとしてしまう(笑)

 

 

意識的に負けることは、意外に難しい。

 

 

そう、じゃんけんの中にさえ現れるこの意識の使い方が、今までの私たちの暮らしと社会を創って来たのですね。

 

 

 

これまでの人生でずっと、そしておそらくは、

何過去生もずっと、この勝者敗者の意識を使い、正しいのは勝つ方だから、勝ちを無意識に目指す事に慣れているのです。

 

 

「じゃ~んけん」とかけ声をかけると、脳は無意識にすぐ!勝とうとする方に向かう。

 

 

からだの細胞も、勝つ方へ、勝つ方へと無意識に向くのです。

 

 

ですから、「あ、またやっちゃった」「あ、またちがう」とうまくいきません。

 

 

しかし実は、じゃんけんが始まってすぐのこのバラバラ感さえも(笑)

 

 

聖母の優しい愛から送られていた、私たちへの贈り物のひとつでした。

 

 

 

頭ではなくて、からだ中で理解してほしい、と。

 

 

 

苦しい、つらい、会社に行きたくない、人に会いたくない、自分が嫌いと泣く、私達の劣等感がどこから来ているのか。

 

 

それは、社会の中で勝たなければならなかったからです。

 

 

勝ちなさいと教わったたからです。

 

 

学生時代は成績で競争し、

社会に出ても数字で競争し、

あの会社より上にならなければならず、

同じセクションでも競争はあり、

女性同士で競争があり、

兄弟でも、夫婦間でも、

競争や、勝ち負け意識があります。

 

 

 

この勝ち負けの競争意識、「勝ちなさい」と教わり、空気感でみんなが勝ちを目指すから、その方向を目指すという流れに、みんなが慣れています。

 

 

 

だからこそ もし、勝てないとなると 猛烈に劣等感や無力感、挫折感を味わいます。

 

 

それでも勝てない、できないとなると、だんだん自分はどうせだめだとあきらめて、自分を軽蔑し嫌悪するようになってしまいます。

 

 

自分は正しくないと思うからです。劣っていると思うからです。

 

 

だから、少しでも上に行かなくちゃ、勝たなくちゃと無意識に私たちの細胞は緊張し続けていたのです。

 

 

私たちが無意識にどこに焦点を合わせているか。

 

まずは、知ってほしい、と。

 

 

みんな一斉に、負けようとするのに、勝ちに向かい、それはもうめちゃめちゃバラバラです(笑)

 

 

しかし、私たちがそんなアクエリアスじゃんけんをしている最中も、

 

 

聖母界のエンジェルたちはキラキラふわふわと、波動をあらわし私たちを包んで光を届けてくれていました。

(続く)