シンクロニシティという船にのる
波にのる経験は、天の運行に沿うこと。
シンクロニシティはあなたを行くべき方向へと運んでくれる天の道しるべです。
日常に現れる「シンクロニシティ」~という経験があります。
シンクロニシティとは、「偶然の一致」という意味ですが、でも本当は この世に偶然はありません。
すべて必然なのです。
シンクロニシティ、それは表面の自分には「偶然」でも、
内なるあなたにとっては、自然な自分を確認する「必然の一致」と言えるでしょう。
私達は、ほぼ無意識といえる程、微かなトーンで感じている自分の願望や質問を ふと独り言のようにつぶやく事があります。
「私の人生、もっと何かあるはずじゃなかったのかなあ」「なんだか新しい事が始まる気がする」
「私は人生の次の展開に向かう気がする」とか
「新しい人生の学びが始まる気がする」
状況的にはまだ何も動いてる訳ではないのに、何故か心の中でだけ、ふと
「なんだかそろそろお引っ越しをする気がする」
「なんだか今の会社から、動くような気がする」
そんなふうに、微かにわく 根拠の
ない感覚に気づくことがあります。
私達は日常の中で、ふと気づく事があります。
人生という愛の流れが、知らぬ間に気づけば自分を、ある方向へと動かしてくれている事を。
気づけば自分が知らぬ間に、ある方向に向かっている事に気づくのです。
自分を導いているその目にみえない流れが、導いてくれる方向を示しているサイン、それが「シンクロニシティ」なのです。
すべて自分に必要だから、出会い、必要だから、お見せ頂きます。
何度も人生に現れる偶然の一致。
何度も目の前にひきよせられ、繰り返し現れるシンボル。
繰り返し耳にする話題や経験。
「ちょうど自分もふと思った事を、行く先々で、出会う人が同じ話題を話してくる」
「できればこうあったらいいのに、と心にわいた事が、身近な人も同じ事をいい始める」
何かが符号してゆく不思議な兆し。
繰り返し現れるそのシンクロニシティは、目の前に現れては繰り返しあなたの注意をひき、
自分が今、より大きくてあたたかい偉大なものと流れを共にしている事を、確認させてくれるのです。
だからでしょうね。
シンクロニシティが起こり始めると、深い安堵感と、安らぎ、そして力湧くようなわくわくしした幸福感が胸に満ち溢れてきます。
生きているという、幸福感と充実した気持ちに、内側が満たされてゆくようになります。
それは、思い込みではない真実のシンクロニシティが、導いている先は、
日常で忘れがちだった
本当のあなたに向かうことだからです。
本当のあなたが望んでいるものに、ふれることだからです。
あなたのエネルギーにふれる、生まれてきた目的、自分が生まれる前に発揮したかった自分のエネルギーを取り戻し、発揮するものだからです。
シンクロニシティは、実をいうと単独では起こらず、よく見ると「わらしべ長者」のお話のように、つながってゆきます。
ひとつシンクロが起こりだすと、
そのシンクロが次のシンクロを呼び、それがさらに次につながり、というように、シンクロニシティの波は、つながってゆきます。
ひとつひとつのシンクロニシティ体験の驚きは単独に見えても、
やがて、その点と点が線になってつながってゆきます。
スピリチュアルに意識が向き始めると、自分の日常に起こっているシンクロニシティに気づき始める事があります。
いろんな事が符号し、シンクロし始めると、その経験は私達をわくわくさせてくれます。
でも実はそうなると、時としてシンクロニシティの袋小路に入ってしまう私達も時にあるのです。
シンクロが起こることがおもしろくて、「またシンクロした~」「またシンクロー」と、いつのまにかシンクロニシティを見つける事のみが目的になってゆくと、しだいに思い込みのシンクロニシティになってしまうのです。
大切なのは、シンクロニシティそのものではなく、
それが、あなたを導こうとしてくれている目的地の方なのです。
例えば、初めていく観光地に向かう時、最寄り駅に降りたり、車で近くまでくると、目的地まで導いてくれる「◯◯方向」とか「◯◯まで何キロ」とか、看板や表示がわかりやすく出ていて、方向がわかりますね。
シンクロニシティは、その看板や道路表示機のようなもの。
そのもの、ではなく、その先にあなたを導くものなのです。
シンクロニシティが頻繁に起こるのは、あなたがあなたに向かい始めた大船に乗り始めた時なのです。
あなたを魂の答えがある場所、
魂の目的がある場所へと、あなたを導いてくれる流れ、
それがシンクロにシティです。
それでは、明日はそのシンクロニシティに自分をひらいてゆくお話をお届けしますね。
どうぞ、お楽しみに。