一杯のカップ分の解放
感情は爆発してから解放するより、小出しの解放の方が遥かにらくです
私達の意識はすごいもので、無意識でも、嫌な感情を避けようとして働きます。
嫌なものはないものにしようと、無意識に抑圧する。気をそらす、自分をごまかしてしまいます。
長い間、自分の感情を大切に扱うという習慣がないと、
我慢をするのが当たり前で
自分をごまかすのが、当たり前になってしまい、
本当は傷ついていたのに、
誰かに「傷ついた?」と聞かれると 、「ううん、ぜんぜん平気」と強がる事が当たり前になったりします。
少し困るのは、本当はキューンと痛みが走っているのに、
表面の自分は、本当に平気だと思い込んでしまうこと。
自分の痛みやつらさに麻酔をかけてしまうから、気づきにくいです。
こんな時、創造されるその人の現実は、いろんな事の波長がずれはじめます。
忘れ物がふえる、電車に遅れて走ることになる、まわりから嫌みを言われる、お店で適当に扱われる、話したいことがあるのに、大事な話を他人に持っていかれる等
嫌な気持ちになること
イライラすること
あせるようなことが、現実に現れ始めます。
人生が、「ずれてますよ、自然じゃないですよ」と、教えてくれているんですね。
感情は、自分の中で溜め込んだり、
他人にぶつけるのではなくて、
川の流れのように、
ただ、気持ちよく 流してあげると、いのちは心地よさを取り戻せるのです。
私達の「感情」は内側で層になっています。だから、ひとつずつ大切に感じて流してあげましょう
私達の感情は、我慢したり、抑圧すると、その感情たちは消えずに残るので、心の中で 地層のように「層」になっています。
だから、ひとつひとつ感じてあげることで、ひとつずつ解き放ってあげると、心はすーっと気持ちいいので優しくなれるのです。
自分を大切にできるのですね。
【一杯のカップ分の自分への優しさ】
わたしにはもう ながらく続けている習慣があります。
毎朝、顔を洗うように
すっかり自然な自分の習慣になっていることがあります。
それは、一杯のカップ分の「感情の解放」です。
それは一杯のあたたかい飲みものを頂く時に、そのカップの中のお茶がなくなるまでのホッとする時間に、
自分の内側を意識して、感じてあげるのです。
カップにお茶がまだあり、或いはカップにまだあたたかさが残っている間は、【自分を感じてあげられる素直な時間】として、どんなに内側で嫌な自分を見つけても、たとえば不満や文句にあふれていても、怒りでいっぱいでも、どんなに悪いと感じる自分でも、出してあげる、ちゃんとふりむいてあげるのです。
「ああ、ストレスを感じていたんだなあ」そのストレスをあえて感じてあげて、心の中を通してスーッ流して行く。
ぬけたら、深呼吸を一回。
まだお茶があるなら、「次にかくれているのは?どんな感情?」と、自分の内を感じてあげて、
「ああ、あの事に違和感感じてたんだな。」と気づき、現実でスルーしてしまった違和感を、あえて感じぬく事で自分の中を通しては流して行きます。すーっ。
まだ、お茶があったら、次にかくれているのは?というように、くりかえし自分を感じて行きます。
そうやって、日常の忙しさに戻るとまた、無意識に自分を守ろうとして抑圧しがちな私達ですから、
あえて意識的に解放してあげる時間を、小出しにとるんです。
このティーカップ分の解放の効果は、私にとっては絶大で、
私は、以前はおちこみがちで、傷つきやすい人でしたが、
よっぽどの事では落ち込まなくなりました。内面の無意識の雑音が消えるので、
すっと、内なるあたたかい神性に焦点をあてることが可能になるので、いつもエネルギーにつながっていることもできるようになりました。
小出しに自分を感じてあげることは、自分を知ることですから、
これが嫌なんだな、これがきついのね、これ違和感なんだねと、自分の中の感覚的なサインに敏感になるので、
だんだん、感情がたまる前に
きちんとノーと伝えたり、安請け合いをせず、立ち止まれるようになりました。
上手に自分を苦しめない生き方が、選択できるようになったので、
内なるストレスが、ぐんっと減りました。
しだいに自分が理解できるようになるので、内なる自分の流れにそって、現実の流れを作り出せるようになったのです。
それは、無意識に生きるのではなく、丁寧に
自分が何を望んでおらず、何に胸あたため、何を望んでいるのかを、知ることで、可能になるのですね。
「自分を知る」
しかも、ジャッジせずに
「自分が何を嫌だと感じ、どんな事に不快感をおぼえ、悲しくなるのか」
理解してあげることは、自分を大切に扱うことであり、
すべての幸福の基本です。
この「ティーカップ一杯の解放」を、私は朝にすることもありますし、街中のカフェですることもありますが、自分がくつろいでいれば、いつでもする事が可能です。
一杯のティータイムに、カップ一杯のお茶を飲み終える少しの時間だけ、
自分の内側に意識を向けてあげるのです。
「感情は解放してあげた方がいい」
それが理解できたあとですら、私達の心の防御反応は素晴らしくて、
油断すると、無意識にすぐ自分が我慢したり、強がったりしてしまいますし、心は自分を守ろうと知らない内にすぐ抑圧態勢に入ってしまうものだと、実感したからです。
なんだかおかしいな。
なんだか現実がうまく進まない、という時、見てみると、たくさんの違和感や怒りやさみしさに強烈にブレーキをかけている事に気づき、表面の自分では気づいていなかったりするので びっくりしたことがあったのですね。
以来、何か嫌なことがあったとか、おちこんだ事があった日ではない、
いわゆる「何かあった日」じゃない 感情が波だっていない、ふつうの時にこそ、自分をちゃんと感じてあげる小さな習慣を持つようになりました。
感情を溜め込むのではなく、小出しにちゃんと流れさせてあげるのです。
感情を溜め込まず、やさしい小川のように、気持ちよく流してあげる時、
私達の幸福がはじまります。