優しさの招待状(4)もう一つの気づき
自分を優しく救いだす、もう一つの聖なる気づき
私達は、何年もくりかえす「心の癖」をもっています。
よーく見つめてみると、何年も事あるごとに、その心の癖で人生をまわしています。
この心の癖をカルマといいます。
子供の頃から、腹をたてても我慢してやりすごし、また別なことで腹をたててはやりすごす。これを思春期でも、結婚してからも、ずっと事あるごとに私達は、この「心の癖」がくりかえし出てきますが、本当は、これは過去世からずっと私達がくりかえしてきたものです。
今、地球の次元上昇にあたり、私達はくりかえし続けたこの癖を越えてゆかなければならないのです。
これ、いわゆるエゴというものにあたりますが、それはたんにボタンのかけちがいなのですね。一瞬、気づいた時ショックではありますが、気づいてゆくと、本当に楽になるんですよ。
気づかないで、この無意識の心の癖を使い続けると何年でも、しっぽで遊ぶワンちゃんのように同じ場所でくるくるまわることになってしまう。
しかしそこに、気づきが訪れた時、くるくるまわる人生のくりかえしの輪が、一段あがるのです。
気づくことによって、一段あがる。
すると、同じくりかえしのループではなく、一段あがって、進化のスパイラルにのり始められるのです。
気づいたら、とても気持ちいいですよ。
エネルギーがあふれてきますから。
気づいてゆくと、現実が動き出しますから。
大きな心のブロックに気づくと目にみえて、現実が癒されます。意識のブロックがはずれると、魂は本道に向かって急速に進み始めるから、大きな自分の心の癖を認めて、降参すると、人生が突然光に向かって動きだします。
だから、むしろ楽しみにもなります。
さて、それでは、今日はもう一つの「抑圧」の中身について、お話しましょう。
聖母に惹かれてくる魂さんが、多くつまづいている心の癖があります。
それは、「私にはできない」「私などは~」という自己卑下の気持ち。
愛しましょう、優しくしましょうという愛のエネルギーにとても強く惹かれますが、動こうとすると恐れがでて、こわくなる。
或いは、聖母界の優しい真理を感じると「私などが、やっていいんだろうか?」「私などが」と尻込みしてしまう。
こういう方はとても優しい方が多いですね。
でも、この奥にも、実は抑圧されているものがあります。抑え隠してる気持ち。
その気持ちが、私達の魂を先に進めてくれません。
この「私などが」とエネルギーを使う癖がある方が、一つの例として、気づくと素敵なことがあります。
「私などが」といい続けて、成功していることは「動かないですんでいること」です。
それは一つ考えられるのは、心の中に今までの自分を立てていたアイディンティティが、実はプライドにより成り立っていて、無意識でそのプライドを守ろうとしている為ということがあるんです。
しかし、どこかでしがみついているそれは幻であり自分には、何もないのでは?と無意識に恐れています。もし動いてみて、できなかったら、やれなかったら、と、自分の中に何もないということがつきつけられてしまうのを怖れています。
なにもないとわかってしまうのが、恐いのです。
自分が無能だとわかるのが、こわい。(本当はちがうんですよ)
なにもなく、なにも残らないのは、そのプライドからつくりあげた自己の領域だけなんです。
あたたかいあなたの内なる神ではありません。それに気がついてみましょう。
もし、自分の中になにもなくても、それが見えたなら、一から学ぼう。
一からやりなおそう。
そういったん受け入れ、降参すると、あなたは、あたたかいあなたにようやくふれられるんです。
崩されることをおびえているプライドの奥のあなたの美しさ、豊かさ、あたたかさに、あなたはふれられるんです。
実は動かないですんでいるいたのは、自分の魂の本道に本気になるのが、こわかったんですね。
とても大好きだから、心から好きだからこそ、だめだった時の落胆がこわいのです。
足りないものは、身につけるために生まれてきたのだもの、と降参してみましょう。
例えからっぽでも、そこに入れる光を見つけに生まれてきたんだものと、ぽーんと気前よくハートをひらいてみるんですね。
そうすると、魂中から力がぬけて、らく~になって、同時に本来の光の力があふれてくるでしょう。
受け入れたとき、エネルギーが流れて、あなたの人生じたいが、そんなあなたを支えてくれようと、運命じたいがちゃんと必要なものを補うように動いてくれます。
おそれの中身に気づくことは、あなたをぐんっと前に進めてくれるでしょう。
どうぞ、いのちいっぱい幸せに輝いてくださいね。