冷たさとぬくもりの真理
優しさを宿す冷たさ
先日、東京でも11月に雪が降りました。とても寒かったですね。北海道の雪国育ちで、雪に慣れているはずの私ですが、雪が降るとなんだか嬉しくなって、足を止めて空を見上げてしまいます。
私はその日、ミルキーウェイセミナー(聖母授業上級)開催日だったのですが、朝自宅を出るときに、寒いと思ったら、雪なのねと、玄関のドアをあけたら、光と共に雪がしんしんと降り注いでいました。
ものすごく寒いけど、ああ綺麗だなと、なんだか神聖な気持ちになっていました。
冷え冷えと体が冷えて、ああ今日はものすごく冷えてるなとオフィスにいくと、マネージャーがみなさまをお迎えする準備をしつつ、これから寒いなか歩いてこられる皆様の体をあたためようと、サプライズであったかいお味噌汁を参加者分、作ってくれていました。寒いなか、歩いてくる皆様が冷えていらっしゃるからと。
私も一杯、いただきました。
さっきまで、冷えて冷たくなっていたからだに、あたたかい湯気があつく、ふわりと体があたたまります。
「ああ、おいしい。あたたまるわ。」と、一杯のお味噌汁のありがたみをかみしめました。
この、あたたかみをかんじられるのは、さっきまでの冷たさがあったから。
冷たさを味わっていなければ、このあたたかみに立ち止まることもない。
あたたかみのありがたさを噛み締められるのは、「冷たさ」を味わっているから。
この安らぎを教えてくれる「冷たさ」に深い感謝があふれ、やすらぎで包んでくれるお味噌汁のあたたかみにも、深い感謝がこだましました。
冷たさがあたたかみに出会ったら、いのちは心底ほっとします。
冬の季節に寒くて寒くて、体をカチカチにする時に、例えばビルの中に入ると、暖房が効いていてふわっと「ああ、あったか~い」となる時、ほっとしますでしょう?
あれは、私たちの細胞が言葉を越えて、真理に出会っているのです。
細胞で、真理を学んでいます。
あたたかさがわかるのは、さっきまでの寒さのおかげ。
やすらぎに感謝。
でも、人生の冷たさにも感謝。
すべてをそのまま受けとめ、通りぬけた時、出会うぬくもりは、優しい神様の愛を私たちのいのちに伝えてくれます。
一杯のお味噌汁に、いのちあたためられながら、今日のセミナーにおいでの皆様が、このやすらぎの真理を見つけてくれたらいいなと 祈った先日の雪の日でした。
晴れもいい。雨もいい。風もいい。そして、雪もいい。
大切なきもちを見つける純粋さ、あたためて生きて行きたいですね。
冬の冷たさにも、人生に時折出会う冷たさにも、あたたかみを見いだせる優しい心でありますように。