変わらずに優しいもの
それはやすらぎの源泉。光にいつもふれている幸せな自分。
私達は、人生で素晴らしい夢や希望を見いだす時があります。
しかし、その希望は本当にときめく事であっても、なかなか手を伸ばすことができず、なかなか先に進めないことがあります。
それは多くの場合 「怖れ」というものが、そこにあるからですね。
怖れがあるから、なんだかこわくて、なかなか次の一歩を選べない。
いつも夢みるけれど、実際の行動になかなかつながらないのは、「怖れ」というものがそこにあるからです。
漠然と、なんだか怖くて先に進めない自分。
そんなふうに、怖れが漠然としている時、実はその時が一番怖く感じます。
得体が知れないのが怖いのです。
怖れの得体が知れない時、私達は動けなくなります。
でもこんな時は、そっと自分に語りかけて、自分は何が怖いのかしら?どんな事を怖れているかしら?という事に、優しいスポットを当ててあげて、そこにあるものに気づいてみましょう。
自分が怖れていることは何か?
「失敗したらどうしよう」
「皆が私にあきれて、去っていったらどうしよう」
「今、あるものを失ったらどうしよう。」
怖れがある時、エネルギーは凍りついて 動けなくなるものですね。
でも、本当は怖れには実体がなく、根っ子はありません。
私達の怖れは、いのちが目に見えないものであるがゆえの、自分への誤解から生じてきてしまいます。
怖れ、というものが実際にそこにあるかのように感じてしまうのです。
恐れは蜃気楼のように、現実ではなく まだ結晶化していないもの。
だから、いのちの真実をそっと自分に語りかけ、気づいてあげましょう。
大丈夫。
怖れは消えてゆくもの。
幸せはゆるす程に「創造」されるもの。
心の映写機で、怖れの映像を繰り返し見続け映しているので、怖れが真実であるかに見えるけれど、
本当は、怖れより、幸せな波動の方が私達のリアルなのです。
それは、いのちにとって永遠のリアルなのです。
私達が幻想をつかんで、おびえている時も、本当は 私達の「愛」や「幸せ」は消えるものではないということ。
本来、いのちはいつも
あたたかい源のちからにふれていて、本当は愛を生み出す力から離れることはないのです。
私達のいのちの幸せは、外側の状況に左右されることがありません。
私達の心のあたたかい所は、すべての幸せなものが生まれてくる優しい源と、離れることがありません。
今も、ふれています。
これからも、ふれています。
本当は、いつも大きな神様の幸せにあなたはふれている。つながっています。
そのあたたかさは、外側の条件に左右されることがなく、存在し続けます。
成功しても、あなたの中は幸せにつながっていて、
例え失敗した時も、その失敗は本当は失敗ではなく、やがて大きな幸せへとつながってゆく・・。
あなたの中はいつも、幸せにつながっている。
あなたの中にある幸せな神のエネルギーは、あなたからけして減らない、なくなることはないのです。
いつも変わらずそこにあるのです。
私達がにこにこできる日も、
どうしてもできない日も、
私達の中は宇宙の幸せにふれています。
そのあたたかいものは、どこにもいきません。
自分から離れていくものや
消えていくものがあっても、私達の中にあるいのちの幸せは、変わらずにそこにあり続けます。
源の優しさは消えることがありません。
外側の状況に、幸せは本当は左右されません。
それに気づくと、魂はほっとリラックスしてくれますね。
いかなる状況でも、私達は幸せなまま。
私達の内側は、幸せはふれています。
愛も、幸せも、
あなたから消えることがありません。
その外側に左右されないあたたかさがあなたの中にあることに気がつくと、現実を生み出すあたたかい力が湧いてくることに気づくでしょう。
だから、幻想におびえるより、
人生を楽しみましょうね。