楽園からの手紙~プロローグ(3)
神聖なものを、神聖なままで
ハワイには二つの顔があるような気がします。
例えば一つは、観光地やリゾートとしての楽しい顔。新婚さんやお友達との仲良しツアー旅行等で訪れる時に、見えるリゾート、観光、買い物、アクティビティから見える楽しいお顔。
そして、もうひとつは、
太古からの神聖な祈りが残り続ける、大切な記憶の貯蔵庫としての神聖な聖地としてのお顔。
新婚さんや、仲良しのグループ旅行で楽しむ時は、観光地としての楽園のハワイの顔を見せてくれますね。
それはそれは、天国的です。
けれど、私は思いました。
もしかしたら、ハワイはこの聖地を訪れる人自身がさしだす意識で、
お見せくださるお顔も、経験も違うのではないかしら。
なんて、奥が深い聖地でしょうか。
ハワイの風や、花や、波が、静かに奏でる祝詞を、肌に受けながら、
私はやっぱり、懐かしさを感じてしまいます。
何か、大切な気持ちがこみあげてしまいます。
けれど、そんな風に私の芯がやわらかく溶けて、
楽園波動に共鳴しているのに・・。
いいえ、
共鳴したからこそ。
変化が生じはじめました。
ハワイ滞在数日めから、
私のハートは、痛みをおぼえはじめたのです。
心が苦しくてたまらなくなりました。
あちらこちらへと、ハワイを理解する為にお連れ頂くたびに、
実はハラハラ、ドキドキ、ぎゅ~っとハートが縮みます。
何故なら、ほとんどは、私と同じ、日本から来た観光客の皆さんが、神聖な場所に気づかずに、秩序を欠いてしまう姿を何度もみてしまったからでした。
まだ精霊が生きていて、
崇高な祈りで 清められた神聖な場所に、知らずに、気づかずに、
土足であがりこみ、
精霊やスピリットたちが困惑しているのに、
観光客は、ずんずん入っていって、そこでピースをして、パシャパシャ写真をとり、
神聖な場所を感じとる感性がなくなっていて、
私達は旅人であり、そこで生き続けてきて下さった人々が、大切になさっているものに、理解を示そうとはしないお姿が目についてしまったのです。
観光で来ていらっしゃるのだから当然でしょう。
だけど、そこに静かに灯っている優しさに、砂をかけるような失敬を、よく見かけてしまい、
その為に、「あっ!」「そこは!」と心が動いてしまって、
その心が私を苦しくしていたのです。
精霊たちが本当に困っておられました。
観光地で、すれ違っただけで、名前も存じ上げない皆様でしたが、
気になって、苦しくなるという事は、私自身のエネルギーの鏡でもあります。
これは、日本人の感性を取り戻す上で、私も含めた集合意識の学びではないかしらと、
「ごめんなさい。失礼をおわびします。」と、精霊たちに祈りを捧げ続けていました。
私達と、他の日本人ツアーの皆様と合同で、ひとときバスをご一緒しました。ガイドさんに観光にお連れ頂く為です。
やはり、私の感覚は的中していました。
まわって頂いた観光地には、ハワイの古戦場とか、たくさんの血が流れたところも、
悲しい歴史がまだ生々しい場所もあります。
楽園だった場所が、楽園意識を手放してしまった時から、
戦い、争い、奪い、
分離がはじまり、愛が薄れてしまいます。
そこから生まれている歴史もあります。
けれど、悲しい歴史があった場所でも、
今は、信じられないくらい晴れ渡り、その痛みを優しく包むほど、美しい絶景です。
だからこそ、ついつい皆、そこに入ってしまう。現地の人が大事にしているものを、けっしてわざとではないけど、失礼してしまいます。
現地に住むこの時のガイドさんは、
しばらくして、「はい、皆さんどうぞこちらへ。説明しますよ。」と、燦々と激しい太陽の下で、
日陰になるあずまやのような所に私達を集め、座らせると
歴史のガイドがはじまったはずが、なんと、日本人は失礼だということを語りはじめました。
ドキドキするくらい激しい口調で。
日本人はぜんぜんわかっていない。とても失礼だと。
人が自然に生かされているのが、わからないのですか!と。
あなた方は、木を斬り倒してそれで終わり、未来の地球を考えていないから、木をきったならその分、新しく植えなければ、育つまでどれだけ時間がかかると思っているのか!と。
日本人には敬意がない、と。
リンゴがひとつあったら、日本人は自分だけでとる。でもハワイの人はわかちあう。何故日本人はわかちあわないのか?と。
全員がそうであるとは限らないのに、何故かとても強い口調で、なんと40分以上も・・。
そこにいた日本人の観光客の皆さんはとても困惑していました。
それくらい、激しい口調でした。
しかし、不思議でした。
そこには、たくさん人がいらしたのに、ガイドさんは、私とマネージャーの二人の目を交互にみて、話されるのです。
いつしか、私はその地をお守りされている、精霊さんに叱られているような、又、託されているような気になっていました。
おそらくガイドさんを通して、語っていたのは、精霊さんだったのかもしれません。
気づいた人は、訪れる土地の歴史や文化に、あたたかい敬意をもって優しい心を忘れないでいたいと感じました。
それからの私は、その後の自然な観光地に入らせて頂くたびに、
心の中で、静かに祈り、おわびをし、
心のあたたかい所から、癒しの光や、愛と感謝の光をおくり、
ひとつひとつの、聖なる場所に、捧げてゆきました。
そして、日本人に苦言をいっていたガイドさんには、私からどんどん話しかけて、
聖地へのマナーとか、神話とか
歴史とかをいろいろ質問してみました。
熱心に情熱と愛を敬意をこめて、質問すると、
ガイドさんもまた、嬉しそうにみえて、惜しみ無くいろいろ答えてくれました。
ゆっくりと場があたたかいものに変わり始めました。
何かが、晴れ渡っていったのですね。
私達が今、忘れているものを、思い出させてくれたのです。