聖母と本当に出逢う時(3)
「聖母」という言葉は知っていても、
まだ、「聖母」に出逢っていない時が 私達にはあります。
「聖母」という存在が どんな存在かを読んで知っていても、
まだ、「聖母」に出逢っていない時があります。
けれど、
誰もに「聖母」に本当に出逢う体験は、機が満ちれば 必ず訪れるようになっています。
聖母が心にふれる。
その優しさがいのちの中に響き渡り、心が共振して、愛が目覚め、
自分も変わりたくなる幸せな出逢い。
それは、私達が 転生を重ねた末に、
祈って祈って、願って願って
ようやく訪れる「本当の自分」との出逢いです。
聖母と出逢う場所は、あたたかいインナーハートの場所です。
頭ではなく、心であり、
心は心でも、心の真ん中の
「あたたかい所 (ハート ) 」
そこが、聖母とあなたが約束している目覚めと再会の場所、
聖母と響きあう場所なのです。
その霊的な優しい目覚めと、
ふれあいを望むなら、
私達は、私達自身にとって誠実でいなければなりません。
自分の「今」に誠実で、
自分の「今」を受け入れ、認め
素直にならなければなりません。
例えば、自分の感情を嫌わないで、ちゃんと大切に感じてあげる事です。
今、悲しいなら 悲しさを
ちゃんと正面から感じてあげて、
素直に涙を流すのです。
すっきりするまで、泣いてあげる事、
それは弱くなる事ではなくて、
素直になる事ですから、
流れるまま、そのフィーリングを自分にゆるしてあげるのです。
イライラしてる気持ちも
そう思っちゃダメと抑えずに
イライラ感じられる事をちゃんと感じる事をゆるしてあげる。
怒りを感じていたら、怒っちゃダメと抑えずに、
ちゃんと怒りを味わってあげる事なのです。
悲しみも怒りも、落ち込みも、不安も、
心が今、何らかの理由で感じる必要があるウェーブで、
その気持ちを通過するからこそ、
機~タイミングが満ちてゆくのです。
情けなさをいやという程、味わって
悲しみを味わって、泣いて泣いて、
嫌な自分にちゃんと寄り添って、感じたからこそ、
ああ、もう嫌だ。
こんなの嫌だ。
この先に行きたいといのちが光に向かい始めるのです。
痛みを知り、
悲しみを知り、
怒った後の苦味や情けなさを知って
それを通過したからこそ、
「わかる心」があります。
それを通過するからこそ、
理解力が備わります。
だから、わかる段階にきます。
そんな時です。
聖母に向かって、あなたから
扉を開き始めるのは・・。
それまでも、これからも尽きる事なく打ち寄せ続けていた優しさと、
あなたの「今の心」がふっと、ひとつにふれあうタイミングが訪れるのです。
どんな心も、
心で味わう事をゆるしてあげて、
ちゃんと感じきってあげること。
感情は感じきれば、宇宙へと戻る光の粒となり、消えてゆきます。
感じきれば、次に進み、
感じた分、理解力が生まれる。
その理解力が芽生えた時が、
機~タイミングが満ちた 時なのです。
心を大切に味わえば、どなたにでも「その時」は、訪れます。