聖母と本当に出逢う時(4)
いのちが、
本当の意味で、「聖母の波動」と出逢う為には、
自分の感情をまずは、感じ尽くす事をゆるしてあげる事、
それが大切という事を先にお話いたしました。
悲しみも怒りも、落ち込みも、不安も、
心が今、何らかの理由で感じていて、今、経験する必要があるウェーブだからです。
その気持ちを通過するからこそ、
光との出逢いの機~タイミングが満ちるのだと・・。
しかし、ここで
よくつまずきやすい事を、わかちあってみたいと思います。
心にわいてくる本音や感情は、
どんなものも感じる事をゆるしてあげて、
味わい尽くせば、
感情は光の粒となって
消えて行きます。
でも、それは
自分の心の内、
自分のフィールドで しっかり 感じきるという意味で、
周りに感情をぶつけるという意味ではありません。
腹がたった事、
イライラしている自分の感情を
「仕方がないじゃない、だってそう感じるんだから」「こんな感情を感じさせるあなたが悪いでしょ」と誰かのせいにしてしまったりと、
周りに甘えて、自分の感情を誰かにぶつけたり、
又、自分の感情だけを大切にして、避けたい事をまわりに丸投げしたりして、誰かに不快な思いをさせてしまっては
逆効果です。
それでは、機が満ちるどころか、
新たなカルマを発生させてしまいますね。
私達は長い人類の歴史の中で、
いつもいつも、自分を律してきました。
善悪のものの見方、
正しい、間違っているという、二元のものの見方から、
感じてはダメな感情と感じる感情は、立ち上がりそうになると、猛烈にブレーキをふみます。
だから・・。
怒ってはならない。
泣いてはならない。
頑張らなくてはならない。
憎んではならない。
不満があってはならないと、
正しいはずの心でいなければならないという正しさを、学んでしまった為、
これらが湧いてくると
すごい勢いで、ブレーキをかけ
抑圧に入ります。
感じる事さえ、自分にゆるしません。
でも、これらが感じられる事なく抑圧され続けると、
思いは固まり、心は冷えてゆきます。
でも、心が怒りを感じること、
ちゃんと素直に涙を流せること。
味わうこと、そう思う正直な気持ちを、
自分が自分に感じることを許可してあげ、
認めてあげると、
私達のエネルギーは次に進み、
内なるステージは、次なる幸福な世界へと波動が上がってゆくのですね。
例えば、紙芝居のワンシーンのように、です。
紙芝居は、ひとつのシーンを通過しなければ、
次なる場面をめくる事はできず、
お話は先に進みません。
だから、ひとつのシーンをなかった事にして先に進もうとすると、
お話がつながらないので、何度も何度も、紙芝居は欠損したシーンに戻って補おうとします。
そのシーンを通過しないと、次に進めませんから。
だから、見過ごされ滞った怒りが深いところにマグマみたいに沸々と
煮えたぎっているのに、
怒りを見ないようにしていると、
何度も何度も、
その怒りを解放しようと、
現実には怒りの出来事ばかりが打ち寄せます。
だから、「怒りのある現実」からお話が進みません。
ひとつ怒りを見ないふりしてやりすごしても、
またまた怒りを感じる出来事がループします。
だけど、
怒りやネガティブと呼ばれる負の感情を嫌わないで、大切に扱うことを覚えると、
次第に、怒りの奥にある神性に到達するのです。
機が満ちて、
心の内側に、聖母の光が目覚めるのです。
人にぶつけず、
心の内側で感じぬいてみる、ゆるしてあげる。
それが、美しいスピリチュアルな目覚めを促すのです。