楽園からの手紙~2018(5)いのちに通っているもの
聖母意識は、私にハワイアンの樹木にふれるようにと、導いてくれていました。
例えば、言葉はいらないから
ただ自然に包まれ、太古からつながり続ける植物たちが提供してくれているひびきに、自分のオーラを浸しなさいと、伝えられていました。
だから、私はひそかにハワイの旅の最中に、どこか場所を見つけて、自然の中で、ほっこりして五感を幸せにする時間を、感じてみたいなと、思っていました。
聖母がいったのです。
これから地球が、本来の霊性(幸せ)を復活させる為には、
グレースが暮らしの中に流入している事が大切なのです。
グレースとは、宇宙のいつくしみです。天の恩寵、魂の栄養です。
これは、宇宙の創造の源泉から豊かに、つきる事なく、すべての生命の中を流れ続けています。
例えば、一粒の種が、やがて芽をだし、ぐんぐん伸びて、蕾になります。
そして、最初は固かったその蕾が、やがてやわらかく膨らむと、ふわっと花を咲かせたりしますね。
この時、種からいのちを芽吹かせるもの、
そして、固いつぼみがやわらかく ふわりと咲くのは、
そこにグレース(宇宙のお母さんのエネルギー)が通っているからなのです。
あらゆるいのちを生かし、養い、成長を促す愛のエネルギーが、本当はすべてのものの中を流れています。
草や木の中にも
犬やねこにも、
そして、私達一人ひとりの中にも、
流れ続けているんですね。
グレースはいつでも、私達のいのちが生まれた愛の源泉から、私達の中に供給されています。
けれど、私達は、グレースを遮断してしまう考え方をしたり、
グレースの流れと逆方向に自分を向けているために、
流れが塞き止められていて、
いつしか、グレースの感覚すら見失ってしまい、宇宙の源から自分は孤立しているかのような孤独を味わっています。
聖母は、今ここから先の地球に必要なのは、私達の暮らしの中でのグレースの復活で、それこそが地球の進化に役立つのですよと教えてくれました。
私がグレースと呼ぶ、この同じ美しいものをハワイでは「マナ」と呼ばれています。
あらゆるものに通っているあたたかい神の力、神の息吹きです。
私達はもう長く、
そんな神の恩寵や恩恵が存在する事や、そのあたたかいエネルギーが自分たちに無条件で通っている事も、すっかり忘れてしまいました。
グレースと離れて、自分の肉体だけで対処するきつさだけが人生だと、自分の本質のパワーを忘れたまま生きています。
だから、こんなお話をするとすぐに、宗教的だと言われて、笑われたり、特別な事だと敬遠されてしまう事もあります。
けれど、
生きるという事は、
からだに、運命に
いのちが通うという事で・・。
いのちが通っていなければ、心臓も動かず、血液もめぐりません。
私達が生きているという事は、
生活しているという事は、
そこにグレースが通っているという事なのです。
だから、空気は目に見えないけれど、息をすっているといってバカにする人はいないように、
目に見えない生命力(グレース)が通っているから、私達は笑うことも、歩くことも、人生の壁をのりこえる事もできるのです。
それに気づいて本来の流れのように、エネルギーにつながり流れさせると、
運命は回復して、本来の進化のルートに戻るので、
現実が光の方に変わって参ります。
グレース(生命力)が通わず、かぼそくなった時代は、
人間の内側がとても脆くなって弱くなります。
すぐにくよくよするし、おびえるし、弱くなります。
それは、いのちの力を遮断しているからなのです。
光不足、エネルギー不足なんですね。
この状態では、人は傷つかないように、自分を守るのが精一杯で、いつもびくびくしたり、お人の顔色をみては、人の目を気にして「無難」にかくれたり、
反対に、誰かを批判することで、自分の正当性を主張して、エネルギーをとろうとします。
そのエネルギーの綱引きに忙しくなり、自分の魂の本来の目的を為す為に使うエネルギーが欠乏してしまいます。
恐れや批判にエネルギーを消耗している内は、自分の魂の力を発揮できないのです。
でも、魂が本来の在り方で、自然に宇宙につながっていれば、当たり前に宇宙が、私達を養ってくれるのです。
グレースか通えば、
私達の内側はエネルギーが満たされて、
だまっていても、優しくなってくるんです。
グレースが通えば、
あたたかい愛の心が自然に湧いてきます。
何故なら、それが本来のあなたの自然な姿だからです。
グレースが通えば、
固かった蕾があたたかくふくらんでゆくように、
心がやわらかく、素直になる。
苦しみがほどけてゆく。
何故ならば、それがあなたではないからです。
そうグレースは、その人のいのちの神性を養う光の栄養でありますから、
通えば、本来のあなたに戻してくれる力となり、
又、本来のあなたではないものを解放する力となるのですね。
グレースを学ぶことは、
自分のいのちの力のダムをひらく事なのです。